函館戦争 その六

今回は「幕府脱走軍兵士」として知られる集合写真の六回目です。
蝦夷共和国の幹部たちについてさらに調べてみる。
しかし、陸海軍裁判頭取 竹中重固については写真が見つからないため確認できな
い。
また、開拓奉行 沢太郎左衛門、歩兵頭 古屋佐久左衛門、陸海軍裁判頭取 今井信
郎、江差奉行 松岡四郎二郎 (松岡磐吉)は写真があるが一番右端に座っている人物
ではない。
では副総裁の松平太郎はどうであろうか。
これは添付の写真を見ていただきたいが、これも僕は違うと思う。
陸海軍裁判頭取 竹中重固の可能性はどうなんだ?とは聞かなかったことにしたい、
・・・・
沢太郎左衛門については下記をご覧ください。
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu3/sawatarou.html
古屋佐久左衛門については下記をご覧ください。
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu2/furuya.html
松岡磐吉については下記をご覧ください。
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu3/matuoka.html
今井信郎については下記をご覧ください。
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu/imai.html
松平太郎 については添付の写真をご覧ください。
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「幕府脱走軍兵士」として知られる古写真については下記をご覧ください。
http://members.at.infoseek.co.jp/Bakumatu/hako_dasso.htm

函館戦争 その五

003

 

 

 

 

 

 

  右から2番目が松平太郎

 

 

 

今回は「幕府脱走軍兵士」として知られる集合写真の五回目です。
蝦夷共和国の幹部たちについてさらに調べてみる。
しかし、陸海軍裁判頭取 竹中重固については写真が見つからないため確認できな
い。
また、開拓奉行 沢太郎左衛門、歩兵頭 古屋佐久左衛門、陸海軍裁判頭取 今井信
郎、江差奉行 松岡四郎二郎 (松岡磐吉)は写真があるが一番右端に座っている人物
ではない。
では副総裁の松平太郎はどうであろうか。
これは添付の写真を見ていただきたいが、これも僕は違うと思う。
こうやって消去法的に調べてみると、一番右端に座っている人物はやはり土方歳三の
ように思える。
また、中央の三人、川村録四郎、甲賀源吾、人見勝太郎といっしょに写っていること
も考慮すると、この「幕府脱走軍兵士」の集合写真は函館で撮影された写真として断
定していいと僕は思う。
陸海軍裁判頭取 竹中重固の可能性はどうなんだ?とは聞かなかったことにしたい、
・・・・
沢太郎左衛門については下記をご覧ください。
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu3/sawatarou.html
古屋佐久左衛門については下記をご覧ください。
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu2/furuya.html
松岡磐吉については下記をご覧ください。
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu3/matuoka.html
今井信郎については下記をご覧ください。
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu/imai.html
松平太郎 については添付の写真をご覧ください。
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「幕府脱走軍兵士」として知られる古写真については下記をご覧ください。
http://members.at.infoseek.co.jp/Bakumatu/hako_dasso.htm

函館戦争 その四

001

 

 

 

 

 

 

後列左から小杉雅之進、榎本対馬、林董、松岡磐吉

前列左から荒井郁之助、榎本武揚

 

 

「幕府脱走軍兵士」として知られる古写真 

今回は「幕府脱走軍兵士」として知られる集合写真の四回目です。
明治元年十月二十六日から明治二年五月十一日というおよそ七ヶ月という期間にどの
くらい髪が伸びるのだろうか。
まぁ、元は総髪だったので、髪を解いて断髪にしてもやや長髪の髪型ということは考
えられる。
但し、その場合でも「幕府脱走軍兵士」は明治元年十月中に撮影されたと仮定して、
土方歳三の写真の方は明治二年の四月下旬から五月の初めに撮影されたということだ
ろう。
新撰組の逸話を調べてみると、土方歳三は死の直前に小姓を務めていた市村鉄之助に遺髪と写真を渡し、「日野の家族の元に届けてくれ」と命じている。
このことからも土方歳三の写真が明治二年の四月下旬から五月の初めに撮影されたこ
とが推察される。
はたして一番右端に座っている人物は土方歳三なのであろうか。
それを証明できるアプローチの方法は他にないのであろうか。
もう一度、一番右端に座っている人物が土方歳三ではないということを考えてみる。
それでは誰であろうか。
集合写真に写っている他のメンバーを考慮するとやはり榎本武揚を総裁とする蝦夷共
和国の幹部たちであろう。
蝦夷共和国の幹部とは以下の人物である。
総裁 榎本武揚
副総裁 松平太郎
海軍奉行 荒井郁之助
陸軍奉行 大鳥圭介
陸軍奉行並 土方歳三
箱館奉行 永井尚志
箱館奉行並 中島三郎助
江差奉行 松岡四郎二郎 (松岡磐吉)
江差奉行並 小杉雅之進
松前奉行 人見勝太郎
開拓奉行 沢太郎左衛門
会計奉行 榎本道章(榎本対馬)
会計奉行 川村録四郎
軍艦頭 甲賀源吾
歩兵頭 古屋佐久左衛門
陸海軍裁判頭取 竹中重固
陸海軍裁判頭取 今井信郎
しかし、榎本武揚、榎本対馬、荒井郁之助、小杉雅之進、松岡磐吉、林董三郎、永井
尚志、松平定敬、板倉勝静、小笠原長行、荒井郁之助ではない。
また、川村録四郎、甲賀源吾、人見勝太郎は集合写真に写っているので一番右端に
座っている人物ではない。
榎本武揚、荒井郁之助、松岡磐吉、林董三郎、榎本対馬、小杉雅之進については添付
の写真をご覧ください。
(前列右から榎本武揚、荒井郁之助、後列右から松岡磐吉、林董三郎、榎本対馬、小
杉雅之進)
榎本武揚については下記をご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A6%8E%E6%9C%AC%E6%AD%A6%E6%8F%9A
荒井郁之助については下記をご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E4%BA%95%E9%83%81%E4%B9%8B%E5%8A%A9
永井尚志については下記をご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E4%BA%95%E5%B0%9A%E5%BF%97
中島三郎助については下記をご覧ください。
http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/emaki/edo/edo_data4.html
松平定敬については下記をご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E5%AE%9A%E6%95%AC
板倉勝静については下記をご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E5%80%89%E5%8B%9D%E9%9D%99
小笠原長行については下記をご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E9%95%B7%E8%A1%8C
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「幕府脱走軍兵士」として知られる古写真については下記をご覧ください。
http://members.at.infoseek.co.jp/Bakumatu/hako_dasso.htm

函館戦争 その三

001 002 003

「幕府脱走軍兵士」として知られる古写真

今回は「幕府脱走軍兵士」として知られる集合写真の三回目です。
次に最後の一番右端に座っている人物となるが、この人物ははたして土方歳三であろ
うか。
土方歳三の写真にはポーズ違いの二種類の写真がある。
添付の写真を見ていただきたい。
近藤勇の写真も両腕のポーズ違いの二種類が残っているが、土方歳三もそうなのが偶
然の一致とはいえ面白い。
さて、ご覧の土方歳三の写真を見直してみると髪形に注目していただきたい。
断髪後、かなり時間がたっているのだろうか、髪は長いと僕は思う。
この右端の人物が仮に土方歳三 とするならば、髪型の関係から、「幕府脱走軍兵
士」の集合写真が土方歳三の写真より函館で撮影されたにしても極めて早い時期に撮
影されたとすれば、可能性はあるような気がする。
それは「瀧川充太郎」の写真を観ていてそう思った。
「瀧川充太郎」も髪型が洋風の断髪だが、「幕府脱走軍兵士」の集合写真ではまだ総
髪の昔の髪型をしているからだ。
同様に服装についてもそう思える。
「幕府脱走軍兵士」の集合写真では両端の人物は完全な洋装ではないが、それぞれ単
独の肖像写真では洋装軍服姿となっている。
榎本艦隊は明治元年十月二十一日、蝦夷地鷲ノ木に到着、十月二十六日には函館五陵
郭に入城している。
新政府軍は明治二年五月十一日に箱館総攻撃を開始し、五月十八日(グレゴリオ暦
1869年6月27日)、本拠地五稜郭は降伏した。
ちなみに函館の一本木関門附近で土方歳三が馬上、腹部に銃弾をうけて戦死したの
は、明治二年五月十一日(1869年6月20日)のことであるから、右端の人物が土方歳
三ならば、この「幕府脱走軍兵士」の集合写真 は、明治元年十月二十六日から明治
二年五月十一日の間に撮影されたことになるだろう。
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「幕府脱走軍兵士」として知られる古写真については下記をご覧ください。
http://members.at.infoseek.co.jp/Bakumatu/hako_dasso.htm
土方歳三については下記をご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E6%96%B9%E6%AD%B3%E4%B8%89

函館戦争 その二

0002

今回は「幕府脱走軍兵士」として知られる集合写真の二回目です。
まず、一番左端に座っている人物だが、これは山内六三郎ではない。
下記を観ていただくと、山内六三郎については別人であることがすぐにわかる。
【横浜鎖港談判使節団の一行】(東京大学コレクション)
http://www.lib.u-tokyo.ac.jp/tenjikai/tenjikai95-2/p/121.gif
では誰であろうか。
実は僕はこの人物は瀧川充太郎ではないかと考えている。
「瀧川充太郎」については添付のをご覧ください。
http://www.meibis.com/baku/b00006.html
次ぎに左から二番目の人物は、これも問題なく川村録四郎だと僕も思う。
「川村録四郎」については下記の写真143をご覧ください。
http://www.meibis.com/baku/b00006.html
次ぎに左から三番目の人物は、これも問題なく甲賀源吾だと僕も思う。
「甲賀源吾」については下記をご覧ください。
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu/kougagengo.html
次ぎに左から四番目の人物は、これも問題なく人見勝太郎だと僕も思う。
「人見勝太郎」については下記をご覧ください。
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/yowa/yowa_contents/yowa_04
8.htm
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「幕府脱走軍兵士」として知られる古写真については下記をご覧ください。
http://members.at.infoseek.co.jp/Bakumatu/hako_dasso.htm

函館戦争 「幕府脱走軍兵士」として知られる古写真 その一

 

幕府脱走軍兵士」として知られる集合写真がある。
この古写真には五人の男たちが写っているのだが、その人物はいずれも函館戦争での
旧幕府軍幹部といわれている。
この写真がなぜ注目されているかといえば、一番右端に座っているブーツを履いた人
物が土方歳三に似ているからである。
誰が人物特定したのか不明だが、左から順に山内六三郎(総裁付)、川村録四郎(会
計奉行)、甲賀源吾(回転艦長)、人見勝太郎(松前奉行)、土方歳三か?(陸軍奉
行並)とされているが、真偽はまだ確定していない。
まず旧幕府海軍、榎本艦隊が函館に落着いた当時に函館に写真館が存在していたのか
という問題があるが、これは有名な土方歳三の肖像写真でもわかるが、田本研造(音
無榕山)の写真館が営業していた。
また、これまでこの古写真はこの函館の田本研造の撮影とされている。(真偽不明)
田本研造については下記をご覧ください。
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/jimbutsu_ver1.0/b_jimbutsu/tamoto_ken.htm
また、回転艦長・甲賀源吾はよくご存知のとおり、 明治2年3月25日の宮古湾の
海戦で戦死しているし、土方歳三は、明治2年5月11日に函館戦争で一本松関門に
て戦死しているため、この集合写真にこの二人が写っているならば、あたり前だがこ
の写真はそれ以前に撮影されたことになる。

今回はそれをちょっとだけ検証してみようと思う。
まず、山内六三郎、川村録四郎、甲賀源吾、人見勝太郎、土方歳三の五人にはそれぞ
れほぼ同時代に撮影されて残された別の写真があるので、それと比較して人物の特定
作業をしてゆくこととなる。
ここで、詳細をちょっと省くと、中央の三人、川村録四郎、甲賀源吾、人見勝太郎に
ついては、僕もそのように思う。
しかし、一番左端に座っている人物は山内六三郎とは別人である。
これについては次回に個人的な意見を書こうと思う。
さて、問題の一番右端の人物である。
この人物ははたして土方歳三であろうか?
確かにちょっと顔は土方歳三に似ていると僕も思う。
しかし、髪型が残された土方歳三の肖像写真と違って断髪洋装ではなく、総髪という
点が気になる。
この集合写真が函館で撮影されたものならば、土方歳三は洋装、断髪と思うからであ
る。
そこでもう一度、この集合写真について冷静に考えてみることにした。
ヒントは中央に写っている三人である。
まず、この三人の行動記録から調べなおす必要がある。
何がいいたいかというと、この三人が共にいた時期はいつなのかということの再確認
が必要だと思うからである。
というわけで、左右の二人については後回しにしたい。
また、撮影場所、撮影者についてもまだ保留にしたいと思う。

「幕府脱走軍兵士」として知られる古写真については下記をご覧ください。
http://members.at.infoseek.co.jp/Bakumatu/hako_dasso.htm

長与専斎

 

01
普通の人はよく知らない、あるいは全く知らないと思うが、長崎県大村の偉人の一人
として長与専斎は外せないだろう。
万延元年に大村から長崎に赴き、ポンペについて蘭医学を学んだ人物だ。
日本の医療福祉の祖ともいわれている。
この長与専斎の若い頃の写真は回想録『松香私志』に掲載されているが、慶応年間に
長崎の上野彦馬の写真館で撮影されている。
この人は松本良順と共に日本の西洋医学の先覚者の一人としてもっと有名になっても
いいと思うのだが、この人を主人公とした小説や映画などが出来なければ無利かもし
れない。
司馬遼太郎先生が生きていて、力作でも書いてくれたらよかったんですけどね。
長与専斎の墓は東京都港区南青山2-32の青山霊園にある。
今度またお天気のいい日にでも青山霊園に行って調べてこようと思う。
【参考書籍】
小川鼎三・酒井シヅ校注『松本順自伝・長与専斎自伝』(平凡社東洋文庫、1980年)
外山幹夫 『医療福祉の祖 長与専斎』 (思文閣出版、2002年)
長与専斎
長崎生まれ。医師・衛生行政家。父は肥前大村藩医。安政元年(1854)大坂の適塾に
入門し、のち塾頭となる。万延元年(1860)長崎に赴き、ポンペについて蘭医学を学
んだ。明治4年(1871)上京し、文部少丞となり岩倉遣欧使節団に随行して渡欧、西
欧の医学教育を視察、調査。6年(1873)に帰国後、文部省医務局長。8年(1875)内
務省衛生局の初代局長となる。司薬場の建設、医制の制定、防疫・検疫制度の導入な
ど、わが国衛生行政の基礎を築いた。元老院議官、貴族院議員などを歴任。回想録
『松香私志』(1902)がある。
http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/306.html

勝海舟

001

ご覧の勝海舟の名刺判写真はよく幕末期に撮影と、間違って紹介されているが、この写
真は明治初年に浅草大代地の内田九一の写真館で撮影された写真だ。
勝海舟の日記を読むとおそらく明治九年に撮影された写真と思われる。
だから正確には二代目・内田九一時代の写真で、撮影技師はおそらく初代・内田九一の弟子、長谷川吉次郎か古賀暁が撮影した写真であろう。
先日読んだ植松三十里著『群青~日本海軍の礎を築いた男~』では、勝海舟は主人公
・矢田堀鴻(景蔵) のライバル役(憎まれ役かな)として登場している。
どうもこの勝海舟という人は、本所生まれの江戸っ子というせいか口も悪く、大久保一
翁と共に徳川幕府の幕引きは見事に行ったが、その後、新政府の高官にも任じられて、
明治に入ると「あれもこれも俺がうまくやった」と人に誇張して話しているせいか、意
外と人気が無い。
僕もどちらかというと勝海舟より、お父さんの勝小吉の方が好きだ。
それでも有名人の古写真ということもあって、こういう名刺判写真がネットオークショ
ンに出品されると、複写の写真でも時々高額な金額で取引されている。
厳密にいえばちゃんと内田九一の写真館の写真台紙の名刺判写真なら高くても仕方が
ないと僕は思うのだが、写真台紙裏に何もない名刺判写真ならば、そうたいした値打ち
はないような気がする。
明治時代はいろんな写真館が勝手に写真を複写して、ブロマイド写真のように一般に広
く販売していたからだ。
それに勝海舟の銅像が隅田川沿いの墨田区役所前に今は建っているけれど、どうせな
ら赤坂の氷川小学校の辺りか、両国駅前、本所界隈に建てて欲しかったと僕は思う。
土佐の坂本龍馬の銅像を真似しているみたいで、なんだかなぁ、・・・

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