京都 和泉式部寺(新京極の誠心院)

 

幕末に京都の今の新京極にある、通称・和泉式部寺内に「中井静龍軒」という写場(写
真を撮影する仮スタジオ)があった。
この「中井静龍軒」については全く何もわからないのだが、「京寺町和泉式部寺中 中
井静龍軒」という印章が上蓋の裏側に付いた幕末期のガラス湿板写真が残っている。

この「中井静龍軒」が営業していた場所は、ちょうど誓願寺に繋がる通り沿いにあり、
ここでは他にも日登美などの写真師が写場を設けて活動していた。

幕末の「禁門の変」(蛤御門の変)で、この誓願寺の界隈は焼け野原となってしまった
のだが、幕末期には芝居小屋、見せ物小屋が多く商売をしており、その客を目当ての写
場もあったと思われる。
この場所は後に(明治五年/1872年)三条から四条の間に新しい路を通され、これが
現在の「新京極通り」となった。
このため誓願寺は、およそ六千五百坪を有していた境内の内、四千八百余坪の土地
を没収されることとなった。

こういう事情で幕末期にこの辺りで開業していた写場や写真師については、全くといっ
てもいいほど、何も参考資料が残っていない。

というわけで僕も何度かこの場所に行ったことはあるのだが、ただ道行く京都の若い女
性を眺めているばかりだった。

土方歳三が着ていたコート(外套)について

 

昨年、第22回の江戸史談会に出席して講師の軍装・勲章の研究者・平山晋先生のお話
を聞き、現物の土方歳三が来ていたコート(外套)と同タイプのコート(外套)を見
せていただいた。

それで判ったのは、最初僕は土方歳三の洋装軍服は江戸の帰還した時に、幕府のフラン
ス伝習生の洋装軍服を流用したのだろうと考えていたのだが、そうではなく仙台から幕
府軍艦に搭乗してから幕府海軍が着用していた幕府海軍の軍装を流用したものであるこ
とが判った。
しかも体型に合わせるために背中の中央の部分を裁断して体型に合わせて縫い合わせを
したものらしい。
今更ながら何事もその道の歴史研究者のお話を聞いてみるべきであった。

土方歳三の写真はその椅子の形状から函館で撮影されたことは明らかだが、こういう状
況証拠からも土方歳三の写真が江戸、横浜で撮影された写真ではないことが判る。

東郷平八郎

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春日丸の乗組員達(1869年8月)後列右側の白い服が東郷平八郎

03 東郷平八郎

日本で始めて明治天皇を撮影した幕末・明治の写真師・内田九一が、明治五年
の明治天皇の西国御巡幸の際に乗っていた軍艦は旧薩摩藩所蔵の軍艦・春日艦
(春日丸)だが、この船には若き日の東郷平八郎も同乗していた。
将来の海軍提督・東郷平八郎は三等砲術士官として春日丸に乗船していた。

僕は長年、幕末・明治の写真師・内田九一について研究しているのだが、この
ことに気がついたのはNHKで「坂の上の雲」という大河ドラマを放送で見始めた
のが切っ掛けである。

しかも偶然のこととはいえ、このときの春日艦の艦長・井上良馨の古写真も持っ
ていたのである。

竹谷家の坂本龍馬の写真について

01

 

茶貿易の先駆者、大浦慶の親族で長崎市新戸町の自営業、竹谷浩和さん(49)が
保存している坂本龍馬の複写写真が昨年新たに見つかった。
ご覧の写真がそうなのだが、この写真は新聞記事の内容とは異なり、一目で後年の
複写の(明治時代の)写真であることが判る。

しかしながら同じポーズの坂本龍馬の真の写真は、坂本龍馬と共に寺田屋にいて
幕府役人に踏み込まれた際に戦った、槍の名手・三吉慎蔵のご子孫・三吉治敬氏
がオリジナルの名刺版写真を所蔵されている。

坂本龍馬の写真を長年研究されている徳島大学名誉教授の渋谷雅之先生によれば、
このポーズの写真は高知県の土産物屋でよく見かける写真だという。
僕の感想とすれば大騒ぎするほどの坂本龍馬の写真ではないと思うのだが、写真
の出所が大浦慶の親族の竹谷家ということで、ちょっとびっくりという感じだ。
もっとも複写の写真とはいえ、坂本龍馬の写真は数が少ないともいえるので、貴
重な古写真ということなんだろうが、三吉治敬氏所蔵の写真がある以上、その歴
史的価値は下がる。

新発見の坂本龍馬の写真が見つかれば大ニュースなんだろうけど、・・・・

昨年、見つかった長崎の竹谷政和氏所蔵の坂本龍馬の写真についての新聞記事
(2009年11月6日付長崎新聞)は下記をご覧ください。
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20091106/01.shtml
参考文献:11月1日発行の雑誌『長崎文化』第67号に大浦慶について書い
た寄稿があり、そこにこの写真が紹介されています。

京都東山霊山 坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓

02 東山霊山、坂本、中岡ノ墳

今年の話題はNHKの大河ドラマ「龍馬伝」になることが予想されるのだが
どうだろうか。
京都の東山の霊山の山麓に、坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓はある。
ご覧の古写真は京都の写真師が撮影した明治時代の写真だ。
僕も何度かここには行ったことがある。
入場料を払わなければここにお参りすることができないのは難点だが、墓
域を維持管理するためにはそれも已むおえない。

今年は例年に比べてもここを訪れる観光客、歴史愛好家、坂本龍馬、海援
隊ファンが多いことだろう。
そういう人たちの中で一人でも多く幕末史や古写真に関心を持ってくれる
若い研究者が増えて欲しいと思う。

坂本龍馬の写真については徳島大学の名誉教授・渋谷雅之先生の研究が一番
でその詳細を調べておられる。
そのため時々、僕の方へも坂本龍馬の写真についての問い合わせがあるのだ
が、渋谷雅之先生を紹介することにしている。
何事もその道の第一人者にまず尋ねることが大切だ。

今年はいよいよ石黒敬章先生、倉持基先生、渋谷雅之先生、土方愛さんとの
共著の本を出版する予定だ。
『英傑写真の横顔ー幕末・明治の真実ー』(仮称)
(渡辺出版、2010年春頃の予定)
という本だが、ぜひご期待くださいませ。
(皆さん買ってくださいね!よろしくお願いいたします)

問い合わせ先は下記になります。

有限会社渡辺出版
電話 03-3813-2330
住所 〒113-0033
    東京都文京区本郷5-18-19 

京都 四条大橋

01

京都四条大橋の西詰を北側に入るとそこが先斗町になる。
先斗町は四条通の一筋北から三条通まで通じる鴨川にそった南北五百メートル
あまりにわたる細長い通りのことを指し、京都における著名な花街の一つである。
新撰組の近藤勇や沖田総司たちが祇園の屯所を出発して四条大橋を東から西に渡
り、浮浪浪士たちを探索しながら三条通の池田屋まで走った通りでもある。
この先斗町には僕の行き付けの店「りこう」という和食の店がある。
入口は先斗町の通りにあるのだが、店自体は地下一階のカウンターと小さな座席だ
けといったこじんまりとしたお店だが、いつも季節の食材を使った美味しい料理と
お酒を提供してくれるアットホームな店だ。
鴨川を縄張りにしているネコちゃんたちにも優しい店でもある。
店主の前田さんはクワマンによく似た明るい人柄で、いつも陽気に僕を迎えてくれる。
京都に行ったら森重から教えて貰ったと言ってぜひ一度は立ち寄って欲しい。
お勧めいたします。

「りこう」については下記をご覧ください。
http://www.kyotogmap.com/shop/0463_rikou/
「りこう」
住所: 〒604-8014
    京都市中京区先斗町通四条上る柏屋町173-2
電話: 075-221-4214
営業時間: 17:00~24:00
  LO: 23:30
定休日: 月曜(但し祭日の場合は翌日)
総席数: 20席

壬生 旧前川邸(新撰組壬生屯所址) その二

 

京都壬生の旧前川邸(新撰組壬生屯所址)の古写真は二枚残っている。
ご覧の写真がそうである。

この写真は幕末期のいろいろな参考書籍に掲載されているためご覧に
なった方も多いだろう。
さて、僕の関心はこの写真がいつ、誰が撮影した写真なのかというこ
とだった。
そのことを調べるためにも一度、現地を実際に観てみようと思ってい
たのだが、それは前回のこのブログにも書いたが、昨年12月に観るこ
とができた。

他にも京都の名所旧跡の古い写真を掲載している数々の本も調べてみた。
その結果、判ったので今回はそれをご報告する。

この写真は『京都維新史跡寫眞帖』に掲載されていた。

いつ、誰が撮影したかといえば、これは大正五年十一月十七日に京都新
京極蛸薬師東の写真館「高木舗」の小谷荘治郎が、坂本彌太郎、中岡銈、
中岡信、清岡猛虎、川田瑞穂の五人を同行して撮影している。

その理由の根拠となる写真が、高知県立図書館の「中城文庫」に所蔵さ
れていた「近江屋」の内部の写真である。
この写真の写真台紙及びその裏側に上記のことが書かれていたのである。
そして「中城文庫」の写真と全く同じ写真が、『京都維新史跡寫眞帖』に
も掲載されている。
以上のことから、、『京都維新史跡寫眞帖』に掲載されているすべての写
真が、大正五年十一月十七日に小谷荘治郎が撮影した写真であることが推
察される。
まぁ、断定してもいいだろう。

下記の京都大学附属図書館 維新資料画像データベースの尊攘堂史料 『京
都維新史跡寫眞帖』もご覧ください。
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/ishin/kanren/sonjo_index_shashin.html

旧前川邸については下記もご覧ください。
http://kyu-maekawatei.com/

壬生 旧前川邸(新撰組壬生屯所址)

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昨年12月は新選組研究者・釣洋一先生のご紹介で壬生の旧前川邸(新撰組壬
生屯所址)に現在、お住みになられている田野十一士さんのお宅を訪ねて、
旧前川邸、蔵の内部などを特別に案内していただいた。
(釣洋一先生、田野十一士さんどうもありがとうございました)
僕自身は友人といっしょに壬生の壬生寺、墓地や八木邸を何度か見た事はあ
るのだが、旧前川邸は長屋門以外は初めて見る。
ここ数年、近藤勇や土方歳三の肖像写真を研究していたため、ちょっと感動
してしまった。
というのもここ旧前川邸は一般の観光客には公開していないからである。

昨年は釣洋一先生から山南忌にも誘われたのだが、本業もサボれずに旧前川
邸に行くことができなかった。
田野十一士さんによれば、新撰組の屯所として使われていた時の御当主・前
川荘司氏は、明治八(1875)年八月十八日に病気でお亡くなりになり、 その
御嫡子・直之助氏が幼かったことから、本家より荘司氏の甥・泰三郎氏が入
られ、跡を継がれそうだ。
その後 、様々な経緯を経て中井氏の所有されるところとなっていたものを、
田野十一士さんが住居および株式会社田野製作所の工場として、当初は 借用、
後に購入させていただいたという。
それにしても田野十一士さんのような旧館の現状をできるだけ補修、保存に
努めていただけるようないい方に購入していただいて、本当によかったと思う。
そういうことは費用もたいへん掛かるのでそうそうできることではない。

旧前川邸については下記もご覧ください。
http://kyu-maekawatei.com/

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