坂本龍馬のガラス湿板写真(高知県立歴史民俗資料館所蔵)について
先日、ちょうど観劇のために上京されていた坂本龍馬のご子孫の一人、
土居晴夫先生にお会いしていろいろとお話を伺いました。
その中で、江戸東京博物館で原本が展示される坂本龍馬のガラス湿板
写真(有名な黒い台に寄り掛かって立っているポーズの写真)の話が
面白かったです。
この坂本龍馬のガラス湿板写真は、現在は高知県立歴史民俗資料館所
蔵となっていますが、この経緯がわかりました。
まず伏見の寺田屋・お登勢がいます。
この寺田屋は代々・寺田伊助を名乗り、寺田屋を継ぎますが、このお
登勢の遺児で、七代目・寺田伊助という人物がいます。
さらにこの七代目・寺田伊助に妹・きぬ(先代の三女)という人がい
ます。
このきぬさんの夫が大阪市議の荒木英一という人物です。
さらにこの荒木英一ときぬさんの娘が相部静子さんになります。
この相部静子さんは最初、神戸の東灘に住んでおられましたが、後に
千葉県八千代市に移転しました。
この相部静子さんは、あの寺田屋・お登勢の写真所蔵者で有名ですが、
坂本龍馬のガラス湿板写真はこの相部静子さんの所蔵していた写真で
した。
正確にいえば、元は荒木英一が所蔵していたわけです。
では、現在、この坂本龍馬のガラス湿板写真がなぜ高知県立歴史民俗
資料館所蔵になったかといえば、荒木英一が所蔵していた頃に、高知
の土陽新聞が本山白雲から仲介の依頼をされて、この坂本龍馬のガラ
ス湿板写真を本山白雲に貸したのがそもそもの始まりです。
本山白雲(辰吉)はこの坂本龍馬のガラス湿板写真を参考にして、あ
の桂浜に建つ坂本龍馬の銅像を製作したのです。
また、調べてみると本山白雲(辰吉)が桂浜に龍馬の銅像を建てたの
は昭和三年五月のことでした。
ところがどういうわけか、この坂本龍馬のガラス湿板写真は、荒木英
一氏に返却されずに、高知の郷土史家で武市半平太の子孫である武市
佐市郎にまた貸しされてしまいます。
さらに武市佐市郎の息子・武市祐吉氏が、この坂本龍馬のガラス湿板
写真を、昭和57年12月3日に、高知県立文化会館(現・高知県立
文学館)に寄贈してしまいます。
寄贈した時には、ガラス板のみで武市佐市郎さんの墨書きの「添書
があったそうです。
さらに後にこの写真は高知県立文化会館から今の高知県立歴史民俗
資料館へ移動しますが、これを知った武市祐吉氏は、そういうこと
ならば返してほしいと、高知県立歴史民俗資料館と訴訟事になった
そうですから、公文書館などで調べればもう少し面白いことがわか
るかも知れません。
いずれにしてもこの坂本龍馬のガラス湿板写真は、本当の元の持ち
主である荒木英一の元には、戻ることがありませんでした。
ちょっとひどい話ですよね。
そこで寄贈当時の新聞記事でさらに調べてみると、武市佐市郎の息
子・武市祐吉氏が、この坂本龍馬のガラス湿板写真と共に、
後藤象二郎、山内容堂のガラス湿板写真を、武市佐市郎所蔵写真と
して、昭和57年12月3日に当時の高知県立郷土文化会館に寄贈
していました。
武市佐市郎は井上俊三本人と懇意にしており、撮影時の様子も井上
俊三本人から聞いています。
そのため、この坂本龍馬のガラス湿板写真を、「坂本龍馬先生影像
原版、慶応二年撮影、武市建山珍蔵」と墨書して大切に保存してい
たそうです。
高村光雲の弟子・本山白雲(辰吉)については下記をご覧ください。
http://www.city.sukumo.kochi.jp/sbc/history/jinnbutusi/p019.html