幕末、京都の治安を守る組織としては新撰組が有名だが、他にも京都見廻組があった。
この京都見廻組は坂本龍馬、中岡慎太郎を近江屋で暗殺したことでも有名ではあるが、その詳細は近年に出版された菊池明著『京都見廻組史録』(新人物往来社、2005年)や、黒金ヒロシ著『歴画 京都見廻組』(PHP研究所、2003年)で、一般にもようやく少しその全容が判るようになった。
さて、先日、僕は日野の高幡不動にて、近藤勇と土方歳三の古写真についての講演をしたのだが、その講演後、茂呂司氏よりいくつか貴重な情報をご教授いただいた。
今回はそれをご紹介したい。
この古写真の人物は、万代修氏の調査による京都見廻組頭・岩田織部之正通俊という人物ということだそうです。
池袋にお住まいのご子孫・松平淳氏のところにガラス原版もあるとのこと。
この写真については写真原版、「写真由来記」などの記述によれば、どうやら慶応三年に撮影された写真だそうです。
岩田織部之正通俊の京都見廻組頭の期間は、慶応二年五月任官から同年十二月までだそうです。
まぁ、これで近藤勇の内田九一撮影説も完全に否定できました。
それというのも内田九一は慶応二年秋に江戸へ移動しているからである。
さらにこの写真の人物は『写真で見る幕末・明治』(世界文化社)p256に掲載されているが、その下の「中将」という写真キャプションの写真も同一人物の写真だと僕は思う。
京都見廻組
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
京都見廻組は、江戸時代末期(幕末期)に幕臣によって結成された、京都治安維持の組織。
元治元年(1864年)、江戸幕府は京都守護職で会津藩主の松平容保の配下として、蒔田廣孝と松平康正を京都見廻役に任命した。
そしてその配下として旗本、御家人を組織して京都見廻組が創設された。
詰所は二条城の側に置かれたという。
それぞれの見廻役が配下の組を持ち、それぞれ見廻役の官職名から相模守組(蒔田廣孝)と出雲守組(松平康正)と呼ばれ、各200名ほどの組員を指揮した。
見廻組は新撰組と共に一般犯罪者ではなく、反幕府勢力の取り締まりを専門に行った。
見廻組は主に御所、二条城周辺といった官庁街を管轄とし、新撰組は祇園や三条といった町人町、歓楽街を管轄とした。
そのためか、新撰組と共同戦線をとったことはあまり無かったらしい。
相模組与頭の佐々木只三郎、渡辺吉太郎、高橋安二郎、桂早之助、土肥仲蔵、桜井大三郎、今井信郎らが坂本龍馬を暗殺したとされる(近江屋事件)。
関連項目
前島密…京都見廻組前島錠次郎の没後、その跡目を継いで開成所教授となる。