土方歳三写真の謎 その三
今回は土方歳三写真がいつ撮影された写真であるのかを探る基本情報を紹介したい。
まず土方歳三が戦死するのは明治二年五月十一日のことであるから、あたり前だがこ
れ以降に撮影された写真ではない。
さらに繰り返しになるが、市村鉄之助が函館を脱出したのが明治二年四月十五日とい
うことから、これ以前に撮影されたことになる。
また、仮にこの写真が函館で撮影された写真とすれば、初期の函館戦争に於いて土方
歳三が松前を平定して函館に帰陣して五稜郭に赴くのが明治元年十二月五日、土方歳
三が松前から五稜郭に凱旋するのが同年十二月十五日であることから、明治二年四月
十五日までの五ヶ月間に函館で撮影されたと考えられる。
これとは別に函館以前に横浜や江戸(東京)で撮影されたとすれば、慶応四年一月十
五日に戊辰戦争で大坂から帰還した以降のこととなるが、土方歳三が洋装軍服姿とい
うことを考慮すると、甲陽鎮撫隊として甲府城接収に出立する際に土方歳三が洋装断
髪していたことが伺われることから、この頃、つまり慶応四年二月頃以降のことと考
えられる。
甲陽鎮撫隊の出陣は慶応四年三月一日であるが、この少し前の記録『金銀出入帳』
の、二月二十四日の項に「新選組、マントを購入する。」、二月二十九日の項に「ズ
ボンの代金を支払う。」とあることや、維新後に稗田利八と改名した新撰組の隊士・
池田七三郎が「(土方)先生はなかなかハイカラでして、洋服を着て馬上です」と
「新選組聞書」で語っていることから、土方が新撰組隊士たちの洋装化をこの二月に
勧め、土方自身もすでに断髪して洋装軍服姿であったことがわかるため、土方歳三写
真がこの慶応四年二月以降に撮影された写真であることがこのことから推察される。
これとは別に幕府軍の洋装軍服について調べてみると、慶応四年に幕府伝習隊はフラ
ンスから援助提供された洋装軍服を着て鳥羽伏見の戦いを戦っているが、この時いっ
しょにいた新選組の方は相変わらず袴姿の着物を着て、撃剣の胴や鉢金、兜など旧式
の甲冑やら陣羽織などを各自勝手に着て戦っていたようだ。
それが新撰組が大坂から江戸に戻って、慶応四年一月二十日に鍛冶橋の元秋月右京亮邸に入った際に、それまで幕府伝習隊が使用していた洋装軍服の余りを使用し始めた可能性もある。
前述の「新選組聞書」で池田七三郎は「洋服の上着のような格好の木綿の綿入れを着て、これへ撃剣の胴をつけて、ズボンをはいて、草履ばき、刀は白木綿の帯をしめて、これへさしている。白い木綿の鉢巻をしてあったと覚えている。」と語っている。
以上のことから、仮に土方歳三写真が横浜や東京で撮影されたとすれば、この慶応四
年一月二十日から三月一日の間というのが第一の有力な時期であろう。
しかし、三月一日に甲陽鎮撫隊で江戸を出陣して途中の日野の佐藤家で休息した際に
は、土方は写真を残していないことから、これもまだ断定はできないが、この慶応四
年二月以前に写真撮影した可能性は少ないように僕は考えている。
では逆に慶応四年三月一日以降はどうであろうか?
まずちょっと時期が跳ぶが、土方歳三以下の新撰組の残党が今の千葉市川鴻の台にいた幕府脱走軍に合流するのが四月十一日で、これ以降は宇都宮、会津など最後は函館と転戦してゆくわけであるから、三月一日からこの四月十一日の間でその可能性をさらに考えてみる。
まず甲陽鎮撫隊で勝沼で戦い、江戸に敗走した三月十日までの間では、甲陽鎮撫隊が
勝沼に布陣したのが三月五日だが、土方歳三は援軍を願いにすぐに日野まで引き返
し、翌六日には洋服を脱いで羽織袴に着替えて江戸に早駕籠を仕立てさせて行ってい
る。土方歳三が敗走した甲陽鎮撫隊と再び合流するのは十日と思われることから、こ
の六日から十日の間が一応考えられるが、三月八日に土方歳三がやはり早駕籠で江戸より日野に戻っている記録があることを考えると、この間に洋装軍服姿の写真を撮影
するのはちょっと無理(その可能性が非常にない)ということが判る。
三月十日中には神田和泉橋にあった医学所に入ったようだ。
翌三月十一日から三月十五日に綾瀬五平衛新田の金子家に土方歳三が入ったまでの間
が、江戸で撮影された可能性のある期間となる。
三月十五日から下総流山に転陣する四月一日までの間は、土方歳三は綾瀬五平衛新田
に居たわけだが、この間に写真撮影を行った形跡は全くない。
四月一日から四月十一日の間では、土方歳三は流山で新政府軍に投降した近藤勇の救出工作のために、四月四日に江戸に潜入し、大久保一翁、勝海舟に近藤勇の助命嘆願を行っている。
このことは『勝海舟日記』の慶応四年四月四日に「土方歳三来る。流山転末を云
う。」と書かれていることから確認できる。
その後、土方歳三が今戸八幡別当寺に四月十日入るのが、翌十一日に鴻の台にいた幕府脱走軍に合流していることから、この四月四日から四月十日の間も、江戸で撮影された可能性のある期間となる。
まぁ、さらに正確に書けば、この三月十一日から三月十五日の間と、四月四日から四
月十日の間の雨などの天気の悪い日を除いた日が、江戸で撮影された可能性のある日となる。
【参考資料】
菊地明、伊藤成郎、山村竜也編『新選組日誌 下』(新人物往来社、1995年)
新人物往来社編『続新選組史料集』(新人物往来社、2007年)
下母澤寛著『新選組三部作・新選組始末記』(中公文庫、1977年)
下母澤寛著『新選組三部作・新選組物語』(中公文庫、1977年)「新選組聞書ー
稗田利八翁思出話ー」
野口武彦著『幕府歩兵隊~幕末を駆けぬけた兵士集団~』(中公新書、2002年)
菊地明、伊藤成郎編『戊辰戦争全史 上』(新人物往来社、1998年)
勝部真長、松本三之介、大口勇次郎編『勝海舟全集19「海舟日記Ⅱ」』(勁草書
房、1973年)




