Archive for 12月, 2008

土方歳三写真の謎 その三

今回は土方歳三写真がいつ撮影された写真であるのかを探る基本情報を紹介したい。
まず土方歳三が戦死するのは明治二年五月十一日のことであるから、あたり前だがこ
れ以降に撮影された写真ではない。
さらに繰り返しになるが、市村鉄之助が函館を脱出したのが明治二年四月十五日とい
うことから、これ以前に撮影されたことになる。
また、仮にこの写真が函館で撮影された写真とすれば、初期の函館戦争に於いて土方
歳三が松前を平定して函館に帰陣して五稜郭に赴くのが明治元年十二月五日、土方歳
三が松前から五稜郭に凱旋するのが同年十二月十五日であることから、明治二年四月
十五日までの五ヶ月間に函館で撮影されたと考えられる。
これとは別に函館以前に横浜や江戸(東京)で撮影されたとすれば、慶応四年一月十
五日に戊辰戦争で大坂から帰還した以降のこととなるが、土方歳三が洋装軍服姿とい
うことを考慮すると、甲陽鎮撫隊として甲府城接収に出立する際に土方歳三が洋装断
髪していたことが伺われることから、この頃、つまり慶応四年二月頃以降のことと考
えられる。
甲陽鎮撫隊の出陣は慶応四年三月一日であるが、この少し前の記録『金銀出入帳』
の、二月二十四日の項に「新選組、マントを購入する。」、二月二十九日の項に「ズ
ボンの代金を支払う。」とあることや、維新後に稗田利八と改名した新撰組の隊士・
池田七三郎が「(土方)先生はなかなかハイカラでして、洋服を着て馬上です」と
「新選組聞書」で語っていることから、土方が新撰組隊士たちの洋装化をこの二月に
勧め、土方自身もすでに断髪して洋装軍服姿であったことがわかるため、土方歳三写
真がこの慶応四年二月以降に撮影された写真であることがこのことから推察される。
これとは別に幕府軍の洋装軍服について調べてみると、慶応四年に幕府伝習隊はフラ
ンスから援助提供された洋装軍服を着て鳥羽伏見の戦いを戦っているが、この時いっ
しょにいた新選組の方は相変わらず袴姿の着物を着て、撃剣の胴や鉢金、兜など旧式
の甲冑やら陣羽織などを各自勝手に着て戦っていたようだ。
それが新撰組が大坂から江戸に戻って、慶応四年一月二十日に鍛冶橋の元秋月右京亮邸に入った際に、それまで幕府伝習隊が使用していた洋装軍服の余りを使用し始めた可能性もある。
前述の「新選組聞書」で池田七三郎は「洋服の上着のような格好の木綿の綿入れを着て、これへ撃剣の胴をつけて、ズボンをはいて、草履ばき、刀は白木綿の帯をしめて、これへさしている。白い木綿の鉢巻をしてあったと覚えている。」と語っている。
以上のことから、仮に土方歳三写真が横浜や東京で撮影されたとすれば、この慶応四
年一月二十日から三月一日の間というのが第一の有力な時期であろう。
しかし、三月一日に甲陽鎮撫隊で江戸を出陣して途中の日野の佐藤家で休息した際に
は、土方は写真を残していないことから、これもまだ断定はできないが、この慶応四
年二月以前に写真撮影した可能性は少ないように僕は考えている。
では逆に慶応四年三月一日以降はどうであろうか?
まずちょっと時期が跳ぶが、土方歳三以下の新撰組の残党が今の千葉市川鴻の台にいた幕府脱走軍に合流するのが四月十一日で、これ以降は宇都宮、会津など最後は函館と転戦してゆくわけであるから、三月一日からこの四月十一日の間でその可能性をさらに考えてみる。
まず甲陽鎮撫隊で勝沼で戦い、江戸に敗走した三月十日までの間では、甲陽鎮撫隊が
勝沼に布陣したのが三月五日だが、土方歳三は援軍を願いにすぐに日野まで引き返
し、翌六日には洋服を脱いで羽織袴に着替えて江戸に早駕籠を仕立てさせて行ってい
る。土方歳三が敗走した甲陽鎮撫隊と再び合流するのは十日と思われることから、こ
の六日から十日の間が一応考えられるが、三月八日に土方歳三がやはり早駕籠で江戸より日野に戻っている記録があることを考えると、この間に洋装軍服姿の写真を撮影
するのはちょっと無理(その可能性が非常にない)ということが判る。
三月十日中には神田和泉橋にあった医学所に入ったようだ。
翌三月十一日から三月十五日に綾瀬五平衛新田の金子家に土方歳三が入ったまでの間
が、江戸で撮影された可能性のある期間となる。
三月十五日から下総流山に転陣する四月一日までの間は、土方歳三は綾瀬五平衛新田
に居たわけだが、この間に写真撮影を行った形跡は全くない。
四月一日から四月十一日の間では、土方歳三は流山で新政府軍に投降した近藤勇の救出工作のために、四月四日に江戸に潜入し、大久保一翁、勝海舟に近藤勇の助命嘆願を行っている。
このことは『勝海舟日記』の慶応四年四月四日に「土方歳三来る。流山転末を云
う。」と書かれていることから確認できる。
その後、土方歳三が今戸八幡別当寺に四月十日入るのが、翌十一日に鴻の台にいた幕府脱走軍に合流していることから、この四月四日から四月十日の間も、江戸で撮影された可能性のある期間となる。
まぁ、さらに正確に書けば、この三月十一日から三月十五日の間と、四月四日から四
月十日の間の雨などの天気の悪い日を除いた日が、江戸で撮影された可能性のある日となる。

【参考資料】
菊地明、伊藤成郎、山村竜也編『新選組日誌 下』(新人物往来社、1995年)
新人物往来社編『続新選組史料集』(新人物往来社、2007年)
下母澤寛著『新選組三部作・新選組始末記』(中公文庫、1977年)
下母澤寛著『新選組三部作・新選組物語』(中公文庫、1977年)「新選組聞書ー
稗田利八翁思出話ー」
野口武彦著『幕府歩兵隊~幕末を駆けぬけた兵士集団~』(中公新書、2002年)
菊地明、伊藤成郎編『戊辰戦争全史 上』(新人物往来社、1998年)
勝部真長、松本三之介、大口勇次郎編『勝海舟全集19「海舟日記Ⅱ」』(勁草書
房、1973年)


土方歳三写真の謎 その二

まず椅子に腰かけて膝より上が写っている土方歳三の写真についての基本的な逸話と
して、土方歳三より辞世の歌が書かれた小切紙と遺髪、肖像写真、(その他に刀二
本、品物)を託されて日野の佐藤彦五郎家へ届けに来た、函館戦争当時に土方歳三の
小間使をしていた市村鉄之助の話がある。
この写真が現在、佐藤彦五郎家が所蔵している土方歳三の写真というわけだが、この
写真は椅子に腰かけて膝より上が写っている写真だ。
この逸話は佐藤昱著「聞きがき新選組」や小島政孝著「新選組余話」の「土方歳三の
使者市村鉄之助」などで紹介されている。
この逸話の大元は何かとさらに調べてみると、佐藤彦五郎の長男・佐藤源之助(後の
俊宣(玉陵))が老年になって書き残した佐藤玉陵著「今昔備忘記」(抄)の「歳三
の遺命をもって市村鉄之助来訪す」という章に書かれている。
ここに書かれている内容の写真に関するポイントを整理すると、佐藤家に残る土方歳
三の写真(椅子に腰かけて膝より上が写っている写真)は、市村鉄之助が土方歳三か
ら渡された肖像写真で、明治二年五月五日に函館に於いて土方が戦死する数日前に渡
されたものと書かれている。
しかし、「明治四年九月五日付島田魁宛大東屋河衛書簡」には「土方預リ物義、一昨
年四月十五日立ニ而市村鉄之助蒸気ニ而極内々之使者ニ参候」あることから、市村鉄
之助が函館を脱出したのが明治二年四月十五日ということがこの書簡からわかるた
め、「今昔備忘記」(抄)の記述は誤りで実際は明治二年四月十五日以前にこの肖像
写真(椅子に腰かけて膝より上が写っている写真)が撮影されたことがこれで判る。
この写真について以前に現物を僕が確認した際に疑問に思ったことは、写真の台紙に
ついては確かに非常に古いものであることがわかるが、その台紙に貼られた土方歳三
の写真(鶏卵紙)は、よく見ると写真の下部と右側に元の写真をさらに複写したこと
がわかるバレが写っていることであった。
つまり、少なくとも僕には肝心の土方歳三の写真がオリジナルの写真と思えないので
ある。
これが土方歳三写真の最大の謎の一つである。
この写真が仮に本当に土方歳三が市村鉄之助に渡した写真だとすれば、土方はどこか
で複写した写真を持っていて、その一枚を市村鉄之助に渡したということも考えられ
る。
従ってこの市村鉄之助の逸話だけでは、この写真が函館で撮影された写真であるのか
は断定できない。
さらに昭和13年に土方家(土方康氏の頃)から市立函館図書館に土方像原画の寄贈し
ていることから、現在、土方家にある土方歳三の写真はやはり土方歳三が市村鉄之助
に渡した写真現物ではなくて、これも後年の複写写真の一枚である可能性は高い。
僕はまだ市立函館図書館に寄贈された現物を確認できていないため、これも今後の課
題となる。
その一方、椅子に腰かけて足元の全身まで写っている土方歳三の写真(土方家所蔵写
真、平拙三家旧蔵写真)の方については上記のような特別な逸話は残っておらず、こ
の写真がどうしてあるのか不明だ。
また、こちらの写真は明治になってからの写真台紙に貼られた写真で、写真が貼られ
た写真台紙表の下部に左から右に「PHOTOGRAPHER  GK  JAPAN ARTIST」とデザインさ
れた意匠が印刷されている。
これと全く同じデザインのある写真台紙の写真が市立函館図書館に所蔵されている
が、残念ながら僕はまだその写真については現物を確認できていない。
しかし、これが土方歳三写真の謎の一つだと僕は考えている。
それがどうしてかといえば、一般的に写真は写っている範囲が多いほど複写の写真と
はいえ、オリジナルの写真に近い情報量を持っているからである。
これは当たり前だといえばそうなのだが、僕は重要なことだと考えている。
ここでもう一度、問題を整理すると、①いつ、どうして平拙三家はこの椅子に腰かけ
て足元の全身まで写っている土方歳三の写真を入手したのか?と②「PHOTOGRAPHER
GK  JAPAN ARTIST」とデザインされた意匠が印刷されている写真台紙の写真はどこ
の、誰の写真館が使用していた写真台紙であるのか?ということになる。
さて、市立函館図書館所蔵「田本研造旧蔵写真アルバム」掲載されている楕円に縁取
りされた写真については、これは明治44年6月11日に、田本研三の弟子で、市立函
館図書館館長の岡田健蔵氏の古写真収集に協力した函館の写真家・池田種之助が市立
函館図書館に寄贈した写真であることが判っている。
この池田種之助が寄贈した写真はさらに元は「大鳥圭助伝」(大正四年)をまとめた
山崎有信氏が明治44年に函館毎日新聞に連載した「函館戦史料」を連載する際に全
国の関係者から収集、古写真提供された写真といわれている。
また、この池田種之助が寄贈した写真は、どうやら明治時代にはすでに市販されてい
た肖像写真のようだ。
また市立函館博物館五稜郭分館にも土方歳三の複写写真があるが、こちらは大正時代
に収集された写真で、前記の複写写真とは入手の経路が違う。
また、同じタイプの写真は佐藤家所蔵写真にもあるが、こちらの写真の写真台紙裏に
は「明治二年五月十一日 有統院殿銕心日現居士 土方歳三義豊」と書かれている。
【参考資料】
佐藤昱著「聞きがき新選組」(新人物往来社、昭和四十七年)
小島政孝著「新選組余話」(小島資料館、1990年)
伊東成郎『新選組残日録』(新人物往来社、2006年)
新人物往来社編『続新選組史料集』(新人物往来社、2007年)


土方歳三写真の謎 その一

近藤勇の写真についての調査が一段落したこともあり、その過程で知り合った新撰組
の研究者の方々から、土方歳三の写真についても調査して欲しいというリクエストを
いただいた。
近藤勇の写真については僕の古写真の研究テーマが内田九一と堀與兵衛だったことが
その理由なのだが、土方歳三の写真についてはこの二人とは全く関係ないため、今ま
で興味がなかったというのが正直なところだ。
僕のことを新撰組の研究者だとか、熱烈な新撰組ファン、オタクだと思っている人も
いるかもしれないが、それは誤解です。
まぁ、確かに僕は新撰組関係の参考資料をよく読んだし、新撰組の研究者の方々にも
よく会っているし、新撰組縁の場所も週末のウォーキングや個人的な京都旅行でよく
見て廻ったけれど、そして、古写真好きで、歴史好きな人間であることも事実ですけ
ど・・・。(ポリポリ)
また、僕自身は函館には一度も行ったことがないため(行きたいのですが)、函館戦
争関係の写真については諸書に紹介されている古写真を見ているにすぎない。
そのため、僕自身が土方歳三の写真について調べる自信がないというのも正直な気持
ちだ。
現在存在する土方歳三の写真については、菊地明著『クロニクル 土方歳三の35
年』(新人物往来社、2003年)という本の『土方歳三の「肖像写真」を解読す
る』で、すでによく紹介されているのでそちらをご参照いただきたいが、複写の写真
も含めて土方歳三の写真が数多く紹介されている。
しかし、これらを大別すれば土方歳三の写真は洋装軍服姿の肖像写真で、①椅子に腰
かけて足元の全身まで写っている写真(土方家所蔵写真、平拙三家旧蔵写真)と②椅
子に腰かけて膝より上が写っている写真(佐藤彦五郎家所蔵写真、平拙三家旧蔵写
真、小島資料館所蔵写真)の二種類しか存在していない。
楕円に縁取りされた写真は、後年の明治になってから複写された写真の一つでもある
が(佐藤家所蔵写真、市立函館図書館所蔵「田本研造旧蔵写真アルバム」掲載)、こ
れは単に椅子に腰かけて膝より上が写っている写真を使用した複写写真にすぎない。
また土方歳三の顔の部分を見ると若干元の写真を左右に広げたように見える複写写真
(やや太って見える)や、それとは逆に縦方向に広げたように見える複写写真(痩せ
て見える)の、土方歳三の写真もあるが、これは単に複写機の具合によるものだと僕
は考えている。つまり写真師の意図的な修整というわけではないだろう。
この二種類の土方歳三の写真は従来から函館で撮影された写真とされているが、これ
については僕なりにこれから再検証してゆきたいというのが今回のテーマだ。
最近では撮影された場所が横浜や江戸(東京)という仮説もあるようだが、撮影され
た場所が函館という説については、今のところ僕も有力だとは考えている。その理由
については今後、このコラムで書いてゆく予定だ。
そして、僕は撮影した時期はいつなのか、撮影した写真師が誰であるのか、撮影され
た場所はどこなのかについても、僕なりにもう一度調査、再検証できればいいと考え
ている。
土方歳三の写真についての本格的な調査論文としては、伊東成郎、桑嶋洋一他著『新
選組研究最前線(下)』(新人物往来社、1998年)に掲載されている桑嶋洋一著
「写真師K・Gと土方歳三」という論稿が非常によく書かれているため、僕も今のとこ
ろこの論稿によることが多いことを初めにおことわりしておく。
また、現時点では僕は現物の土方歳三の写真については、椅子の座る部分までの半身
像(佐藤彦五郎家所蔵写真)の写真しか直に確認していないため、それ以外の写真に
ついて、直に確認する作業は今後の課題にしたいと考えている。
【参考資料】
菊地明著『クロニクル 土方歳三の35年』(新人物往来社、2003年)
伊東成郎、桑嶋洋一他著『新選組研究最前線(下)』(新人物往来社、1997年)
釣洋一著『新選組写真全集』(新人物往来社、1998年)