続・近藤勇の写真について (その二)
近藤勇の写真が慶応年間に当時の大坂あるいは京都で堀與兵衛が撮影したことはもは
や確実なのだが、残された問題はまだある。
その一つが正確な撮影日時とその場所の問題ではあるが、これは新たな文字資料(日
記、書簡、記録など)が発見されていないため確定できない。
そのためおそらく慶応年間だろうということしかまだいえないのだが、僕は佐藤彦五
郎子孫宅所蔵の写真裏面の右側に、「京都より彦五郎に持参せしもの(慶応二年
頃)」と青いペン字で後世書かれ、左側に「第四世 天然理心流 近藤勇」と墨書き
された写真から、撮影年度は慶応二年のことではないかと考えている。
時期としては正確に書くと、近藤勇は最初に広島出張(慶応元年十一月四日から八
日)したの前後か、再び広島出張(翌慶応二年一月二十七日京都出立、三月十二日帰
京)を命じられた前後の頃と考えている。
もう一つの問題はオリジナル原版(アンブロタイプ)あるいはオリジナルプリント
(鶏卵紙)の行方である。
堀與兵衛の写真館では客に求められればガラス湿板の形で専用の桐箱に入れて売り渡
していたが、通常は鶏卵紙の紙焼きを複数枚、客に渡していたことは売上帳の記録か
ら判っている。
有名な中岡慎太郎の肖像写真はこの前者の実例(堀與兵衛の祇園支店での撮影)であ
る。
しかし、堀與兵衛の写真館では客に紙焼きを複数枚渡せば、そのガラス原版は使いま
わしていたので、近藤勇の写真もオリジナル原版は存在していない可能性もある。
近藤勇の親族である佐藤彦五郎家のご子孫宅に、それがないことは現存していないよ
うな気が僕はする。
堀與兵衛の『丙寅 入日紀覚帳』(慶応二年十一月より慶応三年五月まで)を見てみ
ると、慶応三年正月廿五日の所には
「廿五日 一、金三両 十人」とあり、撮影料金はだいたい一人、一分弐朱であるこ
とがわかる。
また、木村摂津守は慶応三年二月廿二日の会計メモ(『木村摂津守喜毅日記』)によ
ると、写真の代金としては複写の分として「写真十枚 二両二分」を支払っているこ
とから、鶏卵紙の紙焼きは一枚あたり一分であることもわかる。
これは堀與兵衛の「写真売上帳」の慶応三年六月十日の記載に、「外に紙写金二両二
分」という類似の記述があることから、料金が少し高いような気もするが許容範囲の
ように思う。
また、佐藤彦五郎家のご子孫宅にある近藤勇の名刺判写真と、郡五兵衛新田の名主見
習・金子健十郎家のご子孫宅にある近藤勇の名刺判写真は、どちらも近藤勇から送ら
れた、渡された写真としての逸話が残っているが、写真台紙の形態を調べてみると、
僕はどちらの写真も後年の明治になってから入手した写真だと考えている。
佐藤彦五郎家のご子孫宅にある近藤勇の名刺判写真は、オリジナルの写真だと思う人
は多いだろうが、この写真には近藤勇の座っている敷物の下部にあるピラミッド形の
模様がほとんど写っていないため、オリジナルの複写写真とは思えないのである。




