Archive for 9月, 2008

新門辰五郎の肖像写真 その二

新門辰五郎の肖像写真について、「静岡で写真を趣味の一つにしていた徳川慶喜が、
新門辰五郎を撮影したといわれている」と書いたが調べてみた。
まずは徳川慶喜について詳しい松戸市戸定歴史館の斎藤洋一先生に先のコラムに書いた内容についてご意見を伺った。
すると、「辰五郎の写真を慶喜が撮影したという逸話に対しては、かなり疑問を感じ
ます。私が調べた範囲では、慶喜が間違いなく自分で写真を撮影し始めたのは明治26
年からですので、果たして慶喜が辰五郎を撮影したという話の根拠は何なのだろうと
考えてしまいます。」というお答えをいただいた。
また、
①新門辰五郎は静岡の常光寺に子分数名と住んで、慶喜の身辺を守っていた。
②明治2年12月、清水港本町の廻船問屋松本屋の奥座敷で、新門辰五郎と次郎長が
会見している。
慶喜の身辺をどう守るかというテーマについて話し合ったのだ。
明治2年12月の松本屋奥座敷での右の会談を証言したのは、当時12歳で松本屋に
小僧として奉公していた保田七蔵である。
保田七蔵は後に函館に渡り、事業を成功させて清水にもどり、晩年を過ごすが、昭和
14年頃、梅蔭寺の月心和尚に小僧時代の目撃談を語ったらしい。
保田七蔵翁は大柄な身体に富士登山者が携行するような杖を片手にし、月心和尚の隠
居所にしばしば訪ねていた。  
月心和尚に取材してまとめた河原井淡著「実録次郎長物語」には、次のように書かれ
ている。
「十畳の座敷には辰五郎と次郎長が向いあい、その両側に武士と松本屋が座って
た。」
③次郎長に後事を託した新門辰五郎は、明治四年に東京へ引揚げる。
ということで、明治26年から自分で写真を撮影し始めた徳川慶喜が新門辰五郎を撮影
することは、ちょっと考えられないのである。
但し、静岡時代に徳川慶喜の身近に居た中島鍬次郎という人物がいた。
この中島鍬次郎は写真術を修得し、幕末から徳川慶喜の傍で写真撮影をしている。
この中島鍬次郎に徳川慶喜が命じて、新門辰五郎を撮影することにしたということは
考えられる。
このことが後に辰五郎の写真を慶喜が撮影したという逸話になったのではないだろう
か。
いずれにしても当事者の日記や書簡などの一次資料に、確かなことが書かれていない
のかどうかもう少し探索する必要がありそうだ。
ということでこれについては宿題としてもう少し調べてみようと思う。


函館戦争 まとめ

函館戦争 「幕府脱走軍兵士」として知られる古写真  まとめ

さて、「幕府脱走軍兵士」として知られる集合写真について、僕の見解、仮説をまと
めてみると、左から、不明(瀧川充太郎か)、川村録四郎、甲賀源吾、人見勝太郎、
不明(大鳥圭介か)ということになる。
もちろん、これで確実に、完全に人物を特定できたわけではない。
特に両側の二人に人物については今後も検証が必要となる。
こうして一枚の古写真を僕は毎日眺めては、他の古写真を探して比較したり、参考に
なりそうな書籍を見つけて読んでいる。
そのため、膨大な時間と手間、お金もかけることもある。
しかし、こういう謎解きにも似た時間を過ごすのが楽しいのだ。
この集合写真でいえば撮影した写真師が田本研三なのか木津幸吉なのかを特定するには、まだ何年もかかるような気がする。
今回はこの集合写真もまた僕の宿題の一つとなってしまったが、いつの日にかまた別の古写真を眺めている時にでも、ひょっこりと思い出して解決するのではないかと期待している。
また、こういう調査の過程で調べた参考書籍が別の古写真の解明に役に立つことも多い。
それにこうして知り合えた瀧川充太郎、川村録四郎、甲賀源吾、人見勝太郎、大鳥圭
介のお墓を週末の散歩の時にでも探して観に行くという楽しみもまたある。
ここまで読んでいただいて退屈だったかも知れないが、おつき合いくださりお礼申上げます。
やれやれ。


函館戦争 その七

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右端の人物—————————–小笠原長生

 

 OO003OONO0004

大鳥圭介—————————大野右仲

今回は「幕府脱走軍兵士」として知られる集合写真の七回目です。
その他の蝦夷共和国の幹部たちについてさらに調べてみる。
徹底抗戦を主張し、箱館まで転戦して新政府軍に抗戦した小笠原長行ははどうであろ
うか。
陸軍奉行並に就任し、土方歳三直属の部下となり、二股口の戦いから、箱館総攻撃に
至るまで土方の補佐役を務めた大野右仲はどうであろうか。
この二人も残された写真を見ると別人であることがわかる。
では、箱館政権 の陸軍奉行、大鳥圭介はどうであろうか。
幸い、大鳥圭介には若い頃の肖像写真が残っている。
新政府時代の大鳥圭介の肖像写真だと別人のように見えるが、この若い頃の肖像写真
と一番右端に座っている人物を比較していただきたい。
どうであろうか。
僕はこの一番右端に座っている人物は、残念ながら土方歳三ではなく、大鳥圭介だと
考えている。
撮影場所は函館とすると、確かに有力な写真師は田本研三ということにはなるが、も
う一人候補者がいる。
それは木津幸吉だ。
函館時代の田本研三と木津幸吉についての研究は進んでいないため、どちらと断定は
まだできないが、幸いこの「幕府脱走軍兵士」として知られる古写真には椅子が写っ
ていることから、今後の研究しだいでどちらであるか判定することもできると僕は思
う。
また、撮影時期については
明治元年十月二十六日に榎本軍が函館五陵郭に入城してから、左から三番目の甲賀源
吾が宮古湾海戦で戦死した明治二年三月二十五日(1869年5月6日)の間に撮影された写
真であろう。
一番可能性が高いのは、蝦夷地平定の祝賀会が行われた明治元年十二月十五日頃とい
うのはどうであろうか。
政権としての体裁が一応整った明治元年十二月のある日に、函館の写真館に彼らは集
い、記念写真を撮ったということだろうと思う。
木津 幸吉については下記をご覧ください。
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/jimbutsu_ver1.0/b_jimbutsu
/kizu_ko.htm
小笠原長行については下記をご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E9%95%B7%E8%A1%8C
大野右仲については下記をご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%87%8E%E5%8F%B3%E4%BB%B2
大鳥圭介については下記をご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%B3%A5%E5%9C%AD%E4%BB%8B
甲賀源吾については下記をご覧ください。
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「幕府脱走軍兵士」として知られる古写真については下記をご覧ください。
http://members.at.infoseek.co.jp/Bakumatu/hako_dasso.htm


函館戦争 その六

今回は「幕府脱走軍兵士」として知られる集合写真の六回目です。
蝦夷共和国の幹部たちについてさらに調べてみる。
しかし、陸海軍裁判頭取 竹中重固については写真が見つからないため確認できな
い。
また、開拓奉行 沢太郎左衛門、歩兵頭 古屋佐久左衛門、陸海軍裁判頭取 今井信
郎、江差奉行 松岡四郎二郎 (松岡磐吉)は写真があるが一番右端に座っている人物
ではない。
では副総裁の松平太郎はどうであろうか。
これは添付の写真を見ていただきたいが、これも僕は違うと思う。
陸海軍裁判頭取 竹中重固の可能性はどうなんだ?とは聞かなかったことにしたい、
・・・・
沢太郎左衛門については下記をご覧ください。
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu3/sawatarou.html
古屋佐久左衛門については下記をご覧ください。
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu2/furuya.html
松岡磐吉については下記をご覧ください。
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu3/matuoka.html
今井信郎については下記をご覧ください。
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu/imai.html
松平太郎 については添付の写真をご覧ください。
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「幕府脱走軍兵士」として知られる古写真については下記をご覧ください。
http://members.at.infoseek.co.jp/Bakumatu/hako_dasso.htm


函館戦争 その五

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  右から2番目が松平太郎

 

 

 

今回は「幕府脱走軍兵士」として知られる集合写真の五回目です。
蝦夷共和国の幹部たちについてさらに調べてみる。
しかし、陸海軍裁判頭取 竹中重固については写真が見つからないため確認できな
い。
また、開拓奉行 沢太郎左衛門、歩兵頭 古屋佐久左衛門、陸海軍裁判頭取 今井信
郎、江差奉行 松岡四郎二郎 (松岡磐吉)は写真があるが一番右端に座っている人物
ではない。
では副総裁の松平太郎はどうであろうか。
これは添付の写真を見ていただきたいが、これも僕は違うと思う。
こうやって消去法的に調べてみると、一番右端に座っている人物はやはり土方歳三の
ように思える。
また、中央の三人、川村録四郎、甲賀源吾、人見勝太郎といっしょに写っていること
も考慮すると、この「幕府脱走軍兵士」の集合写真は函館で撮影された写真として断
定していいと僕は思う。
陸海軍裁判頭取 竹中重固の可能性はどうなんだ?とは聞かなかったことにしたい、
・・・・
沢太郎左衛門については下記をご覧ください。
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu3/sawatarou.html
古屋佐久左衛門については下記をご覧ください。
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu2/furuya.html
松岡磐吉については下記をご覧ください。
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu3/matuoka.html
今井信郎については下記をご覧ください。
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu/imai.html
松平太郎 については添付の写真をご覧ください。
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「幕府脱走軍兵士」として知られる古写真については下記をご覧ください。
http://members.at.infoseek.co.jp/Bakumatu/hako_dasso.htm


函館戦争 その四

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後列左から小杉雅之進、榎本対馬、林董、松岡磐吉

前列左から荒井郁之助、榎本武揚

 

 

「幕府脱走軍兵士」として知られる古写真 

今回は「幕府脱走軍兵士」として知られる集合写真の四回目です。
明治元年十月二十六日から明治二年五月十一日というおよそ七ヶ月という期間にどの
くらい髪が伸びるのだろうか。
まぁ、元は総髪だったので、髪を解いて断髪にしてもやや長髪の髪型ということは考
えられる。
但し、その場合でも「幕府脱走軍兵士」は明治元年十月中に撮影されたと仮定して、
土方歳三の写真の方は明治二年の四月下旬から五月の初めに撮影されたということだ
ろう。
新撰組の逸話を調べてみると、土方歳三は死の直前に小姓を務めていた市村鉄之助に遺髪と写真を渡し、「日野の家族の元に届けてくれ」と命じている。
このことからも土方歳三の写真が明治二年の四月下旬から五月の初めに撮影されたこ
とが推察される。
はたして一番右端に座っている人物は土方歳三なのであろうか。
それを証明できるアプローチの方法は他にないのであろうか。
もう一度、一番右端に座っている人物が土方歳三ではないということを考えてみる。
それでは誰であろうか。
集合写真に写っている他のメンバーを考慮するとやはり榎本武揚を総裁とする蝦夷共
和国の幹部たちであろう。
蝦夷共和国の幹部とは以下の人物である。
総裁 榎本武揚
副総裁 松平太郎
海軍奉行 荒井郁之助
陸軍奉行 大鳥圭介
陸軍奉行並 土方歳三
箱館奉行 永井尚志
箱館奉行並 中島三郎助
江差奉行 松岡四郎二郎 (松岡磐吉)
江差奉行並 小杉雅之進
松前奉行 人見勝太郎
開拓奉行 沢太郎左衛門
会計奉行 榎本道章(榎本対馬)
会計奉行 川村録四郎
軍艦頭 甲賀源吾
歩兵頭 古屋佐久左衛門
陸海軍裁判頭取 竹中重固
陸海軍裁判頭取 今井信郎
しかし、榎本武揚、榎本対馬、荒井郁之助、小杉雅之進、松岡磐吉、林董三郎、永井
尚志、松平定敬、板倉勝静、小笠原長行、荒井郁之助ではない。
また、川村録四郎、甲賀源吾、人見勝太郎は集合写真に写っているので一番右端に
座っている人物ではない。
榎本武揚、荒井郁之助、松岡磐吉、林董三郎、榎本対馬、小杉雅之進については添付
の写真をご覧ください。
(前列右から榎本武揚、荒井郁之助、後列右から松岡磐吉、林董三郎、榎本対馬、小
杉雅之進)
榎本武揚については下記をご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A6%8E%E6%9C%AC%E6%AD%A6%E6%8F%9A
荒井郁之助については下記をご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E4%BA%95%E9%83%81%E4%B9%8B%E5%8A%A9
永井尚志については下記をご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E4%BA%95%E5%B0%9A%E5%BF%97
中島三郎助については下記をご覧ください。
http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/emaki/edo/edo_data4.html
松平定敬については下記をご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E5%AE%9A%E6%95%AC
板倉勝静については下記をご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E5%80%89%E5%8B%9D%E9%9D%99
小笠原長行については下記をご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E9%95%B7%E8%A1%8C
**************************************
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「幕府脱走軍兵士」として知られる古写真については下記をご覧ください。
http://members.at.infoseek.co.jp/Bakumatu/hako_dasso.htm


函館戦争 その三

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「幕府脱走軍兵士」として知られる古写真

今回は「幕府脱走軍兵士」として知られる集合写真の三回目です。
次に最後の一番右端に座っている人物となるが、この人物ははたして土方歳三であろ
うか。
土方歳三の写真にはポーズ違いの二種類の写真がある。
添付の写真を見ていただきたい。
近藤勇の写真も両腕のポーズ違いの二種類が残っているが、土方歳三もそうなのが偶
然の一致とはいえ面白い。
さて、ご覧の土方歳三の写真を見直してみると髪形に注目していただきたい。
断髪後、かなり時間がたっているのだろうか、髪は長いと僕は思う。
この右端の人物が仮に土方歳三 とするならば、髪型の関係から、「幕府脱走軍兵
士」の集合写真が土方歳三の写真より函館で撮影されたにしても極めて早い時期に撮
影されたとすれば、可能性はあるような気がする。
それは「瀧川充太郎」の写真を観ていてそう思った。
「瀧川充太郎」も髪型が洋風の断髪だが、「幕府脱走軍兵士」の集合写真ではまだ総
髪の昔の髪型をしているからだ。
同様に服装についてもそう思える。
「幕府脱走軍兵士」の集合写真では両端の人物は完全な洋装ではないが、それぞれ単
独の肖像写真では洋装軍服姿となっている。
榎本艦隊は明治元年十月二十一日、蝦夷地鷲ノ木に到着、十月二十六日には函館五陵
郭に入城している。
新政府軍は明治二年五月十一日に箱館総攻撃を開始し、五月十八日(グレゴリオ暦
1869年6月27日)、本拠地五稜郭は降伏した。
ちなみに函館の一本木関門附近で土方歳三が馬上、腹部に銃弾をうけて戦死したの
は、明治二年五月十一日(1869年6月20日)のことであるから、右端の人物が土方歳
三ならば、この「幕府脱走軍兵士」の集合写真 は、明治元年十月二十六日から明治
二年五月十一日の間に撮影されたことになるだろう。
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「幕府脱走軍兵士」として知られる古写真については下記をご覧ください。
http://members.at.infoseek.co.jp/Bakumatu/hako_dasso.htm
土方歳三については下記をご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E6%96%B9%E6%AD%B3%E4%B8%89


函館戦争 その二

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今回は「幕府脱走軍兵士」として知られる集合写真の二回目です。
まず、一番左端に座っている人物だが、これは山内六三郎ではない。
下記を観ていただくと、山内六三郎については別人であることがすぐにわかる。
【横浜鎖港談判使節団の一行】(東京大学コレクション)
http://www.lib.u-tokyo.ac.jp/tenjikai/tenjikai95-2/p/121.gif
では誰であろうか。
実は僕はこの人物は瀧川充太郎ではないかと考えている。
「瀧川充太郎」については添付のをご覧ください。
http://www.meibis.com/baku/b00006.html
次ぎに左から二番目の人物は、これも問題なく川村録四郎だと僕も思う。
「川村録四郎」については下記の写真143をご覧ください。
http://www.meibis.com/baku/b00006.html
次ぎに左から三番目の人物は、これも問題なく甲賀源吾だと僕も思う。
「甲賀源吾」については下記をご覧ください。
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu/kougagengo.html
次ぎに左から四番目の人物は、これも問題なく人見勝太郎だと僕も思う。
「人見勝太郎」については下記をご覧ください。
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/yowa/yowa_contents/yowa_04
8.htm
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「幕府脱走軍兵士」として知られる古写真については下記をご覧ください。
http://members.at.infoseek.co.jp/Bakumatu/hako_dasso.htm


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