Archive for 7 月 15th, 2008

横浜 田中家仲居時代のおりょうさん

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今年五月に、『「若き日のおりょうさん」論争に決着か』という新聞記事が各新聞、ス
ポーツ新聞などに掲載された。
そのうちの一つで、以下はスポニチの新聞記事である。
「若き日のおりょうさん」論争に決着か
研究者やファンの間で坂本竜馬の妻「おりょう(竜)」かどうか論争になっていた若
い女性の写真を、警察庁の科学警察研究所が、本人と確認されている晩年の写真と比
較、15日までに「同一人物の可能性がある」との鑑定結果をまとめた。鑑定を依頼し
た高知県立坂本竜馬記念館が同日、発表した。論争の対象は、格子柄の着物を着た30歳前後とみられる女性の写真。裏に「たつ」と書かれ、おりょうだという声が出る一
方、「若いころは撮影を拒んでおり、別人」との意見も出て、見方が分かれていた。鑑
定は顔の輪郭など7項目を精査。目や鼻の位置などに整合性が認められ、「別人である
ことを本質的に示す根拠はない」と結論づけている。
[ 2008年05月16日スポニチ]
この記事によると、警察庁の科学警察研究所は、「同一人物の可能性がある」、「別人
であることを本質的に示す根拠はない」と述べているようだが、これは要は「同一人物
だと100%断定できないけど、別人だとも100%断定できない。私たちには鑑定できませ
んでした。」と述べていることに等しいと僕は思う。
だから何のために記者発表したのかも僕にはよくわからなかった。

さて、若い頃のおりょうさんが横浜の田中家という料亭で仲居をしていて、この田中家
の従業員たちが撮影された集合写真の中に、若い頃のおりょうさんが写っているという
話しがある。
ご覧の新聞記事と集合写真がそうだ。
田中家では当時、彼女は三十七歳位と言っているそうだから、そうするとこの写真は、
明治10年頃の写真になる。
参考までに、明治37年に撮影された64歳の「おりょう(龍子)」の写真が三枚目の写真
だ。
しかし、この田中家の集合写真に写っている女性の髪形は、よく見ると庇髪になってい
る。
庇髪は明治35年頃から始まり、明治37年には一般に「二百三高地」と云われ流行した。
ということは、・・・この田中家の集合写真は、明治35年頃以降に撮影された写真であ
ることがわかる。
従って、明治37年に撮影された64歳の「おりょう(龍子)」の写真と比較すると、一目
瞭然だが、この田中家の集合写真に写っている女性は別人ということになるだろう。
四枚目の参考写真はおりょうさん(楢崎将作の長女)の実の妹(楢崎将作の三女)で、
菅野覚兵衛(前列左)と結婚した「きみ(起美)」さんの写真(前列右端)だ。
実の妹だけに晩年のおりょうさんの写真と比較しても、よく似た容姿の女性であること
がこれでわかる。
僕はおりょうさんの若い頃の写真が存在するならば、この「きみ(起美)」さんのよう
な女性の写真だと考えている。