水の都 江戸東京
関東大震災、東京大空襲で東京の掘割は瓦礫処理のためほとんどが埋め立てられてしまい、さらに東京オリンピックの頃には、首都高速道路が残された掘割の上に覆い被さるようにして建築されたため、東京の風景は激変してしまった。
そういうことで、ご覧の江戸東京の原風景である風景写真は貴重な歴史的資料といえ
る。
江戸東京にはご覧の古写真のような掘割が東西南北に繋がり、船が物流の主役であった時代だ。
もちろん人々も今のタクシーを利用するようにチョキ舟(小船)をよく利用していた。
そして掘割に沿って倉庫は並んでいる。
芥川龍之介の随筆を読むと本所の北割下水、南割下水といわれた水路は江戸時代から臭いもひどいどぶ川状態で、江戸時代は貧乏な御家人、旗本が数多く住んでいた。
あの勝海舟もそんな一人である。
勝海舟の自伝『氷川清話』などを読むと、当時の武士たちが内職などに汗水たらしい
かに貧乏な生活だったことがよくわかる。
旗本八千騎と言われた徳川将軍家の家臣たちも幕末になると日々の生活に汲々として
いて、とても薩長とまともに戦うなんてできなかったわけである。
それは自分たちのことばかり考えて保身的な、戦前の軍部、今の霞ヶ関官僚組織を見
ているとよくわかる。
平成の日本も幕末の徳川幕府のような状態で、誰が首相になっても、もはやいい政
治、日本にはならないのだろう。
だいたい日本が莫大な借金大国になってしまった原因は、日本列島改造論以降の自民党一党独裁の国家予算ばらまき、土建政策が原因なのだ。
今の僕たち、あるいはこれからの子供たちは、そんな借金を抱えて生きてゆくのであ
る。



