Archive for 5 月, 2008

行楽雑感

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東京では今年のGWの休日は、後半はあいにく天気がよくなくて、ようやく晴れたのは最
終日の一日だけだった。
そこでこんな日に家にいるのも、何となくもったいないような気がして、僕はまた東京
の見知らぬ町を歩くことにした。
週末はたいてい健康のことも考えて僕は東京のあちこちを歩いているのだが、いつもテ
ーマを決めて歩いているので、同じ町を歩いていても見飽きることがない。
最近では街中にポツンと取り残されたような、小さな稲荷神社に注意して見て廻ってい
る。
今年のGWの休日では、お昼前くらいから白金台界隈を中心に五反田まで歩き、そのまま五反田からは泉岳寺まで地下鉄を利用して、再び泉岳寺から三田、新橋、銀座、日本橋、茅場町まで歩いてみた。後半のコースはだいたい忠臣蔵の逆コースというわけだ。
一日に歩いた総距離数としたらおよそ10キロくらいであろうか。
歩き終わりの、自分の足の疲労感からもそれがわかる。
JRや地下鉄などの最寄り駅から離れた場所にある寺社仏閣や、旧大名屋敷だった庭園、公園、隅田川界隈などに行くとよくわかるのだが、東京にもまだ広く青い空を眺めることができる場所がある。
特に僕が気に入っている場所でいえば、佃島、永代橋、隅田川界隈を歩いたり、清澄公
園や霊岸寺界隈の寺町や谷中日暮里界隈の寺町であろうか。
ご覧の古写真は東京佃島前に浮かぶ弁財船の写真だ。
ちょうどこのあたりの隅田川の河口は江戸時代から江戸東京の湊として、大型の船が停泊する場所だった。
隅田川の上に広がる空が素晴らしい。
また、モノクロの写真というのに奥行きが非常によく感じられる古写真だ。
この写真は他の一連の古写真からおそらく明治初年に内田九一が撮影した古写真と思われる。
何度、長く眺めていても飽きのこない、いい写真だと僕は思う。


福沢諭吉、前島密の名刺判写真

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この写真は福沢諭吉と前島密の名刺判写真だ。
オリジナルの写真は浅草大代地の内田九一の写真館で撮影されたものだが、
この写真は別の写真館が複写して販売していた名刺判写真である。
当時は今と違って著作権や肖像権についてルーズだったため、こういった有名人の写
真がいろいろな写真館で勝手に複写されてブロマイド写真のようにして販売されてい
た。
オリジナルの写真は写真台紙裏の記述から明治七年頃に撮影されたことが判ってい
る。
こういった明治の有名人が写った名刺判写真は、複写のブロマイド写真とはいえ、現
在では数少ない古写真であるため、最低でも五千円くらいで取引されている。
オリジナルの内田九一の写真ならば三万円くらいはするだろう。
先日、東京自由が丘の安土堂書店の八木さん販売している古写真を見せていただい
た。
写真台紙が外国製らしい複写の名刺判写真で、オリジナルは内田九一の写真館で撮影された有名人の名刺判写真があった。
値段はどれも三万五千円くらいだったが、最近はオリジナルの内田九一の写真も少な
くなっているようで、複写の古写真にも関らずこのような高い値段となっているそう
だ。
また、各地で開催されているオンボロ市、骨頂市でも、最近では古写真の出品も少な
くなってきたという。


永見徳太郎編『珍らしい写真』

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永見徳太郎は南蛮文化の収集に貢献した人物だが、古写真の収集保存にも貢献している。
そして生前唯一編修した古写真集が『珍らしい写真』だ。
この古写真集にはご覧の近藤勇、土方歳三の肖像写真も掲載されている。
そしてこの近藤勇の写真は両腕を降ろしている姿の写真で、これと同じ写真は他には
福井の松平春嶽公の写真アルバムに掲載されている写真だけだ。
土方歳三の写真は足元まで写っている全身写真の他に、ご覧のような写真の二種類があるが、どちらも同じ洋装軍服姿の写真であることから、同じ日に何タイプか撮影さ
れたように思える。
詳細は菊地明著『土方歳三の「肖像写真」を解読する』(2008年歴史読本3月
号)をお読みいただきたい。
明治二年七月に新撰組隊士の市村鉄之助が、土方歳三の遺品と共に函館から持参して日野の佐藤彦五郎家に持ってきた写真も、ご覧の土方歳三の写真と同じタイプの写真だ。
僕の方は以前にもここで書いたが近藤勇の写真について研究しているので、永見徳太
郎編『珍らしい写真』という本の現物をどうしても入手したかったのだが、出版部数
の限定された古写真集のため、なかなか古書店でも見つからず入手できないでいた。
それが昨年、別の用事で訪ねた神保町の古書店の店主と話していて、僕が長年、永見
徳太郎編『珍らしい写真』を探していると言うと、ちょうど仕入れたばかりの永見徳
太郎編『珍らしい写真』があるというので、すぐに僕はその本を購入した。
古写真の研究をしているとこういうちょっと不思議なこともあるので面白い。


水の都 江戸東京

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関東大震災、東京大空襲で東京の掘割は瓦礫処理のためほとんどが埋め立てられてしまい、さらに東京オリンピックの頃には、首都高速道路が残された掘割の上に覆い被さるようにして建築されたため、東京の風景は激変してしまった。
そういうことで、ご覧の江戸東京の原風景である風景写真は貴重な歴史的資料といえ
る。
江戸東京にはご覧の古写真のような掘割が東西南北に繋がり、船が物流の主役であった時代だ。
もちろん人々も今のタクシーを利用するようにチョキ舟(小船)をよく利用していた。
そして掘割に沿って倉庫は並んでいる。
芥川龍之介の随筆を読むと本所の北割下水、南割下水といわれた水路は江戸時代から臭いもひどいどぶ川状態で、江戸時代は貧乏な御家人、旗本が数多く住んでいた。
あの勝海舟もそんな一人である。
勝海舟の自伝『氷川清話』などを読むと、当時の武士たちが内職などに汗水たらしい
かに貧乏な生活だったことがよくわかる。
旗本八千騎と言われた徳川将軍家の家臣たちも幕末になると日々の生活に汲々として
いて、とても薩長とまともに戦うなんてできなかったわけである。
それは自分たちのことばかり考えて保身的な、戦前の軍部、今の霞ヶ関官僚組織を見
ているとよくわかる。
平成の日本も幕末の徳川幕府のような状態で、誰が首相になっても、もはやいい政
治、日本にはならないのだろう。
だいたい日本が莫大な借金大国になってしまった原因は、日本列島改造論以降の自民党一党独裁の国家予算ばらまき、土建政策が原因なのだ。
今の僕たち、あるいはこれからの子供たちは、そんな借金を抱えて生きてゆくのであ
る。


七人のサムライ

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今回ご紹介する古写真は現在、大阪京橋にある「GALLERY UCHIDA」(内田写真株式会社)が所蔵している古写真だ。
断髪して髪型を現在のようにしている男たちが写っていることから、この写真が撮影
されたのは明治四年の断髪令以降で、おそらく明治五年~八年頃のように思われる。
日本刀を持っている人が多いことから、いずれも武士、士族出身の男たちであろう。
写真台紙裏には何も書かれていなかったため、人物名などはわからない。
また絨毯、敷物の柄もうっすらとしかわからないため、どこの写真館で撮影されたの
かもわからない。
しかし、この明治の若者、男たちの表情は素晴らしい。
みんな自信を持って新しい時代に生きてゆこうという気概のようなものを感じる。
この古写真を僕が最初に見たのは新宿の雄松堂書店の古写真の展示ブースだった。
僕は雄松堂書店に内田九一が撮影した風景写真を観るために行ったのだが、その時に古写真の展示ブースに他の写真といっしょにこの古写真も展示されていた。
僕は係りの人に「内田九一が撮影したかも知れないですね」と思わず言ってしまった
のだが、その根拠はない。
しかし、いい写真である。
後日、内田写真株式会社の内田社長も見に来られて、内田九一が撮影した風景写真と
いっしょに購入されたのもよくわかる。
写っている人物名がはっきりわかれば、しかもこの中に歴史的な人物がいれば、さら
に価値ある古写真ということになるのだが、まだ判らない。
どなたかご覧になって何かお気づきの点があれば、ぜひご教授いただいたい。

さて、それはさておきこの古写真を次に見たのが、「GALLERY UCHIDA」の図録第1号
に掲載されていたのだが、その説明に「内田九一撮影」とあった。
その根拠を「GALLERY UCHIDA」に問い合わせてみたら、雄松堂書店がそう言っていたからだという、そこで雄松堂書店にも問い合わせをしてみたら、何と僕がそうかもし
れないと言っていたからだというので、そうしたとのことだった。
僕は「GALLERY UCHIDA」、雄松堂書店にお詫びして、この古写真は内田九一撮影とは断定できず、誰が撮影したのかまだ判らないとお話しした。
それにしても迂闊なことは言えないなぁと僕は今でも深く反省している。
七人のサムライさんたちごめんなさい。


東京 亀戸天神社の藤

大判手彩色古写真 東京 亀戸天神 藤 明治期亀戸天神社 藤まつり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年も友人を案内して東京江東区の亀戸天神社に藤の花を観に行ってきた。
江戸の昔から東京では藤といえば、この亀戸天神社の藤の花が有名だ。
梅や藤の美しさは、浮世絵師・安藤広重の「江戸名所百景」でも取り上げられてい
る。
お天気のいい祝日のお昼前、予想してたとはいえ、亀戸駅からすでに多くの人々が亀
戸天神社を目指して歩いている。
そして亀戸天神社の正門から太鼓橋、奥の社殿まで人でいっぱいだ。
それでも太鼓橋に上って境内の藤の花を眺めれば、今年ももうすぐ東京に夏が来るの
だと僕は思う。
こういった季節の移り変わりを自然の草花や、祭りなどの風俗から思いやるというこ
とに、最近ようやく慣れてきた。
おそらくこれが老いの始まりということなんだろうが、渋谷、新宿、六本木といった
繁華街で時間を過ごすことよりも、根津、谷中、日暮里、深川といった場所を散策し
て過ごす方が今は楽しい。
そして地元に老舗の美味しい鰻屋か蕎麦屋があれば、もうそれで最高の幸せなのであ
る。
そんなことをぼんやりと考えながら僕は東京で生活しているわけだが、よく考えてみ
ると僕は江戸、幕末、明治、大正、昭和と歴史を重ねてきた東京の町が大好きなの
だ。
おそらくそれは転勤、引っ越しの多かった僕の生い立ちに関係しているのだろう。
僕の両親は二人とも九州は大分県の出身で、僕自身も中学二年から大学までの間を大
分で過ごしたのだが、今では人生の三分の二を東京で生きている。
だから東京は僕の取っては故郷といってもいいくらいだ。
もっとも日本の全人口の十人に一人は東京都に住んでいるわけだから、僕と同じよう
に感じている人も多いような気がする。
それにしても初夏を迎える季節の藤の花は、淡い紫が可憐で美しい。