歴史写真2
馬場章研究室が提唱している「歴史写真」という呼称ならば、僕は「古写真」の中の
こういう写真が「歴史写真」という意味で使われるべきだと考えている。
時にこの「原市之進」の写真は幕末に最後の将軍・徳川慶喜の側近として活躍し、暗
殺されている人物なので、京都で幕末に撮影されたことが明らかであり、歴史的な古
写真の一枚だと僕は思う。
この写真は『徳川慶喜公伝4』(徳川慶喜の伝記)に掲載されている写真だが、残念
なことに現物の古写真についてはその所在がよくわからない。
原市之進のご子孫がまだ所蔵されているのか、『慶喜公伝』編纂の際に澁澤栄一が関
係者から資料を集めて、その後澁澤栄一のご子孫、関係博物館などが、そのまま持っ
ているのだろうか?それも今後の課題だ。
また、この「原市之進」の写真を誰が撮影したのかはまだ確定できていない。
但し、もう一枚の「土岐朝海」の写真や、原市之進が暗殺された後を継いだ「梅沢孫
太郎」の写真も、同じ縞の敷物を敷いた縁台に腰掛けているので、慶応年間に京都で
撮影されたのは確かだと思う。
実はこの同じ縞の敷物を敷いた縁台に腰掛けている人物(二人の武士)の写真は他に
もある。
こちらはもう少し背景がよくわかる写真だった。
このことを考慮すると、僕はこれらの写真は幕末の京都知恩院山門前の茶店で開業し
ていた亀谷徳次郎という写真師が撮影した写真だと考えている。
この亀谷徳次郎という人は元は長州萩の出身で、長崎の阿部家に養子として入り、上
野彦馬などと共に写真術を学び、その後幕末期の京都に上がって、京都知恩院山門前
の茶店で開業した人だ。
またこの亀谷徳次郎は「阿部寿八郎」として一橋家のお雇いとなり、徳川慶喜とも関
係があったことがわかっている。
だから、こういう「古写真」こそ、本当の意味で「歴史写真」というのだと僕は思
う。



