京都 澤田開花堂
ご覧の名刺判写真は京都の縄手通で営業していた写真師・澤田開花堂だ。
澤田開花堂は京都の女写真師 三輪歌の門下で、明治四年に最初、大阪安堂寺町で開
業して、後に京都に移り、縄手通で写真館を開業した。
この澤田開花堂は明治十六年当時の経営者の名前では「林作助」となっている。
写真の特徴としてはご覧の写真のように背景の書割と小道具、大道具をうまく利用し
て、モデルの男や芸者に様々な服装をさせて撮影している。
京都のお土産写真としてもこのような写真を六枚くらいセットにして店の名を印刷し
た専用の紙の子袋に入れて販売していた。
写真台紙表裏も例えばご覧のような斬新なデザインで、その種類もいろいろ確認でき
る。
その経歴についてはこれ以上は判らないのだが、こういう写真師について考え、研究
するのが面白い。
幕末明治初期の京都の写真師について、残された古写真を元にいろいろ調べてみる
と、どの写真も京都的な雰囲気があってすぐにわかる。
特に写真台紙は独特なデザインで、その意匠は一言でいえばこっている。
京都の写真師では四条通の八坂神社近くにその多くは開業していて、他には知恩院の
山門前や、八坂神社内、誓願寺内、伏見稲荷内、寺町通でも開業している。
こういった写真館は幕末の慶応年間にはすでに仮の写場を、寺社仏閣に向かう道に設
けて、長州征伐などで上京してきた諸藩の藩士たちを相手に商売をしていたようだ。
中岡慎太郎などの土佐藩、他にも福井藩の藩士が利用していたのは、祇園に近い今の
「鍵善」の前で営業していた堀與兵衛の写真館(祇園支店)だった。
近藤勇などの新撰組の隊士もこの写真館で撮影している。
最後の将軍・徳川慶喜の一橋家の家臣、側近は、残された写真を見ると、知恩院の山
門前の茶屋で営業していた亀谷徳次郎の写場で撮影していたようだ。
直接な関係はないと思うけど、京都の「開花堂」といえば今は手造りの茶筒が有名だ
が、明治初年の京都では写真館が有名だったわけだ。




