Archive for 3 月 17th, 2008

大坂城と名古屋城

大判手彩色古写真 大阪城 明治期

手彩色古写真 名古屋城 明治期

 

 

 

 

 

 

大阪城の古写真はいろいろあるけれど、たいていはご覧の玉造口(大阪城の南)から
北方向を写したこの風景だ。
これは現地に行ってみるとよく判るのだが、この写真を撮影するポイントが決まって
いて、誰が写してもほぼ同じ場所からカメラを構えるのでそういうことになる。
写真の石垣は今でも当然同じなのでそれが証明できるというわけだ。
幕末に撮影された洋式軍装の調練写真(四枚綴り)があって、僕はこの写真が大阪城
のどこで撮影されたのか調べに行ったのだが、大阪城公園内は浮浪者の青ビニール
シートのテント村のようになっていて、同行した先輩ディレクターの飯島さんが「大
阪城は昔も今も浪人の集まる城なんだね」と云ったのが面白かった。
これはもちろん大坂夏の陣、冬の陣のことと今の様子が似ていることを云ったのだ
が、青ビニールシートのテント村は僕には何だか中東の避難民テント村にも見えてし
まった。
それはさておき、お城の古写真も多く残っていて、お城の古写真だけを集めているコ
レクターもいるくらいだ。
二枚目の写真は名古屋城の古写真だけど、名古屋城の金のシャチホコは、明治期に
ウィーン万国博覧会やその後の内国博覧会などの出品されて、一時期、名古屋城には
金のシャチホコが乗ってなかったことがある。
そういう時期にも名古屋城の写真は撮影されていまして、撮影時期の特定がこういう
点からも推測できる。
最初の大阪城の古写真でいえば、右手奥の建物や木立の成長具合から、撮影時期tが予測できるのだが、普通の人はそんなことまで考えないですよね。
でもこういうことを考えることが古写真の魅力でもあるのだ。
オタクといえばオタクなことだけど。