大村右衛門3
今回は大村右衛門の古写真の続々報です。
大村史談会編「大村史話 下」(昭和四十九年)に掲載されている「大村右衛門の集合写
真」、大村藩の「稲田又左衛門」の古写真は、どこで撮影されたのか、誰が撮影したの
か、あるいは何という写真館なのか?
前回はそれらの答えがまだ見つからないまま、「図説 埼玉県の歴史」という本に「飯能
戦争に参加した大村藩士」という古写真と、埼玉の古写真コレクターの青木さん現所蔵
の古写真を、新たに見つけたという話しでした。
さて、ここからが今回のお話です。
僕の方は今年に入って港区港郷土資料館所蔵の「井関コレクション」という名刺判写真
の再検証、再鑑定作業を行っていた。
これは僕が協力している東京大学の倉持先生のチームが企画している「井関コレクショ
ン」のデジタルアーカイブ化の際に、最初の基本になるテキストデータになる。
この「井関コレクション」のデジタルアーカイブは、古写真研究者などの限られた人た
ちに限定で公開し、写真一枚一枚の内容について研究、精査してゆく運営方式となって
いる。
そのため、公開時に基本となる写真情報がそれぞれ必要になるわけだ。
そこで、港区港郷土資料館が「井関コレクション」の図録を作成した際の写真キャプシ
ョンを元に、その後に判明した内容を含めて、再検討してテキストデータを作成した。
テキストデータの作成締め切りは出来るだけ早くということで引き受けることにしたの
だが、元来怠け者の僕はなかなかヤル気が起きずにずるずると年が明けてしまい、今年になって大慌てで何とか作成して、東京大学の倉持先生にメールで送った。
もちろんその後もテキストの修正を、チョコチョコ追加修正している。
そういうこともあって、確認などのため自宅書庫の古写真関係の参考書籍を見直す作業は今も行っている。
また、この間にも新たに次の古写真テーマ(課題)について調べていた。
足の踏み場もない自宅書庫で、僕はいつも複数テーマの古写真について考えていて、
「あっ、これもついでに見てみよう」とあっちの古写真図録、こっちの古写真集と次々
にいろんな参考書籍を見てゆくこととなる。
すると不思議なもので、まるで僕を待ち構えていたように大村右衛門の古写真と同じ絨
毯柄の別の古写真を見つけたのである。
その写真は石黒敬七編『写された幕末1写真伝来史篇』(アソカ書房、昭和32年)p31
に掲載されていた。
そしてこの古写真の写真キャプションは「当時長崎在住の韓国人と真剣な表情で商談を
とり交わす長崎商人」と書かれていた。
もちろんこの写真は韓国人と商談をとり交わす様子を再現して撮影した写真だが、写真
キャプションに書かれていた「長崎」というのが手がかりになる。
前回までの僕は京都か東京の写真館で撮影された写真ではないかと考えていたのだが、これで長崎の上野彦馬の写真館で撮影されたという仮説が最有力となったわけだ。
今後の問題はこの敷物の柄が上野彦馬の写真館であることを、どう証明してゆくかにな
る。
まだまだそれを完全に証明はできないが、きっとこれは古写真研究の一つの新発見になるような気がする。
上野彦馬について研究している先生もいるので、もし証明できたらその先生の驚く顔が
目に浮かぶ。
と、ぬか喜びしていたら、先日、日本カメラ博物館で石黒敬章さんなどと話していて、
『写された幕末1写真伝来史篇』の写真キャプションはあてにならないといわれてしま
った。
つまり、単に韓国人が写っている写真だから長崎だろうということで、写真キャプショ
ンを「当時長崎在住の韓国人と真剣な表情で商談をとり交わす長崎商人」としただけな
のかもしれないのだった。
これでまたまた振り出しに戻ってしまったわけだが、この新しい写真に韓国人(あるい
は韓国人の服装をしている男)が写っていることは確かなので、僕は長崎で撮影された
ような気がする。
但し、上野彦馬の写真館ではないかもしれない。
長崎では明治初期に上野彦馬の弟子たちも営業写真館を次々に開業していたからであ
る。
上野彦馬の弟子たちは「竹下」とか「薛」とか「渡瀬」とかがそうだ。
これらの写真館で撮影された可能性についても今後、調べてみる必要がある。
そう考えると、何だか長ーい道を歩いているような気分になった。
やれやれ。



