Archive for 1月 13th, 2008

鹿鳴館

小判古写真 東京 旧鹿鳴館 明治期

 

 

 

 

 

 

 

 

 

テレビで三島由紀夫原作「鹿鳴館」という番組をやっていた。
「鹿鳴館」は皆さんもご存知のように時の明治新政府が、不平等条約の改正を意図し
て、欧米諸国との文化的な交流の場、サロンとして建築された。
建築者はイギリス人建築家コンドル(Conder 1852~1920)。
明治十六年完成。
その後、「華族会館」として払い下げられ、関東大震災にも耐えた「鹿鳴館」だった
が、昭和十五年「老朽化」という理由で取り壊された。
明治の夜を華やかに彩った建物は、数枚の写真を残して、跡形もなく消えてしまった。
写真はその「鹿鳴館」である。
さて、この「鹿鳴館」があった場所は、さらにその後どうなったかというと、実は現在
の霞ヶ関ビルがそうなのである。
そして、すごいことに霞ヶ関ビルには今でも旧華族の方々の団体、社団法人霞会館があ る。
まぁ、本当の意味でビップな方々が会員として名を連ねている団体だ。
僕は以前、この社団法人霞会館に古写真調査の件で何度か行ったことがあるのだが、大久保さん、西郷さん、木戸さん、松平さんなどなどと、教科書に出てくる歴史上の有名
人のご子孫の方々が、会員としていっぱいここにいました。
そこでこんなことがあった。
大久保利通公のご子孫である大久保さんと打ち合わせでお話ししていたら、係りの人が
「大久保様、お電話です」とそっと伝えてきた。
「いま、打ち合わせ中だから、後で掛けなおすと言って」と大久保さん。
すると係りの人が、落ち着いた声で、しかしちょっと眉を寄せて、
「陛下からです、・・・」
その瞬間、大久保さんもすぐに立ち上がって「ちょっとごめんなさい」と僕に謝って、
電話に出られました。
後で知ったのですが、大久保さんは今の天皇陛下とご学友とのことでした。
「ねぇ、たまにはいっしょに飲みに行かない?」なんて会話してたら面白いですよね。
たぶんそういうことではないと思いますが。

「鹿鳴館」の建設地は、内山下町の旧薩摩藩装束屋敷跡で、
現在の千代田区内幸町、現帝国ホテル隣の大和生命ビルの地。

「訂正:今の天皇陛下は大久保さんの一学年先輩で、この時の電話の相手はどうやら
宮内庁の誰かで陛下ではなかったようです。お詫びして訂正いたします。」