Archive for 1 月 5th, 2008

新富町界隈

32小判古写真 東京 銀座 

 

 

 

 

 

僕の勤めている会社のすぐ傍には築地警察署、中央区役所と中央区の図書館がある。
この一帯は今の新大橋通りまで概ね土佐藩(今の高知県)の下屋敷があった。
実はこの屋敷から北に少し歩いたところに通称浅利河岸、幕末当時の大富町があり、
ここに桃井春蔵の士学館道場という有名な剣術道場があった。
「士学館」は斎藤の錬兵館や千葉の玄武館と並んで江戸三大道場の一つにまで数えら
れ、「位は桃井。技は千葉。力は斎藤」と評された。
上田馬之助、土佐藩士の武市半平太、期間は短いが逸見宗助も士学館に入門した一人である。
今の場所は高速道路の西側に辺り、「京橋公園」のある場所がそうである。
桃井春蔵は鏡新明智流の剣客で、幕末には幕府の講武所の剣術教授も勤めていた。

最近、僕の方はお昼休みに会社から築地警察署、中央区役所の間の道を歩いて、高速道路沿いに歩き、桃井春蔵の「士学館」があった近くの、正確にいえば高速道路を挟
んで東側の一本裏道にある洋食店「煉瓦亭」で昼食を食べている。
ちなみにこの「煉瓦亭」のお隣りさんは「青葉」という美味しい鰻屋さんだ。
昼食後は若い頃と違ってそんなに忙しくないので、僕は帰り道に地下鉄日比谷線・築
地駅近くの喫茶店「ひよこ」に立ち寄り、新聞を読みながらアイスコーヒーを飲んで
から会社に戻ることもある。

そういうわけで、この界隈はよく知っているのだが、現在の中央区の京橋税務署があ
る場所には「新富座」があった。
「新富座」は、明治八年(1875年)に守田座を改称して設立された株式会社組織の劇
場で、経営者は第十二世守田勘弥。
明治九年、市村座が出火で類焼し、新富町四丁目に仮劇場を設営したのが始まりで、
明治十一年六月には、守田勘弥はガス灯などを配備した洋風近代劇場を同じ場所に新
設した。
ご覧の古写真は、明治初年の「新富座」の古写真だ。
明治初年、一世を風靡した「新富座」はその衰退し、明治四十三年にはついに松竹が
買収して、同社の経営に移る。
その後、大正十二年九月一日の関東大震災で被災して、そのまま再建されず廃座と
なってしまった。
現在、跡地には前述の京橋税務署と東京都中央都税事務所がある。
明治初年に「新富座」があった当時は劇場の付近は料理屋が並び、非常に賑わってい
た。
「新富座」の周辺には有名な歌舞伎役者たちも住んでいた。
「辰巳芸者」の小粋なお姉さん方もたくさん歩いていたことだろう。
そんなことを想像しながら、僕はこの界隈をよく歩いているわけだ。