東京 烏山寺町 その2
妙寿寺は法華宗本門流のお寺で山門を入るとすぐ右手に鍋島藩
の下屋敷の一部を移築した庫裡がある大きなお寺だ。
庫裡の前の道を挟んで反対側には大きな五輪塔があって、これ
が陸奥弘前藩主・津軽信義の墓碑だ。
この陸奥弘前藩主・津軽信義の墓碑がなぜこの妙寿寺にあるの
かは一切不明だという。
この庫裡と津軽信義の墓碑の間の道をさらに奥に進むと右手に
りっぱな本堂があって、ちょっとだけ本堂にお参りして、その
奥に広がる墓域に進む。
ここには江戸時代後期の心学者・中沢道二の墓と昭和期に活躍
した政治家・川島正二郎の墓などがあるはずなのだが、この二
つのお墓が見つからない。
広大な墓域にあるお墓を片っ端から見て回ったのだがないのだ。
こういうときは一度冷静になってスタート地点である本堂に戻り、
もう一度探すことにする。
そうしたら本堂の近くにあることにすぐに気がついた。
結局、僕は見過ごして歩いていたわけだ。やれやれ。
ここ妙寿寺には他にも幕末・明治初期の俳人・橘田春湖、昭和初
期の国文学者・小林好日のお墓があるということだが、すっかり
草臥れた僕はもう探すのを止めてしまった。
妙寿寺を出て再び寺町通りに戻ると、今度は宗福寺に入る。
このお寺の本堂裏側には井口家之墓があり、このお墓が作家・劇
作家の山手樹一郎(本名:井口長次)と作家・井口朝生の墓になる。
宗福寺を出ると次に隣にある称往院の、門前に説明板もある「不許
蕎麦入境内」の石碑を観る。
それから山門に入って左に建つ浄瑠璃「桂川連理冊」の主人公お半
と長右衛門の供養塔と、本堂左わきの墓地入口に並んである芭蕉十
哲の一人・宝井其角と、その父の榎本東順の自然石墓を観る。
「夕立や法華かけこむ阿弥陀堂」の句碑もあった。
戻って次に妙寿寺と宗福寺の間の道を西に歩いて、宗福寺の隣にあ
る浄因寺に入る。
まずは墓地入口近くにある歌人・内藤鋠策の墓を確認して、それか
ら目当ての戊辰戦争で戦死した福岡黒田藩士の慰霊碑を探したのだ
が、すぐに見つかりそうにないので、お寺の住職に尋ねて案内して
頂いた。
次に善行寺、万福寺の前を歩いて妙善寺に行く。
ここの本堂裏手の手桶置き場裏に江戸時代の戯作者・為永春水の墓
がある。
妙善寺を出ると門前の道を少し歩いて、それからまた寺町通りに戻
るために左折する。
すると僕の本日のスタート地点になる存明寺の前に戻ることになる
のだが、まだ時間もあるので幸龍寺に入ることにした。
とはいえ、寺が閉まる夕方五時までは時間も限られているので、広
大な墓域をゆっくり探索することもできないので、まずは本堂左手
奥にある小笠原長行とその嫡男・長生ほか小笠原一族の墓を観る。
それから江戸時代後期の絵師・長谷川雪旦・雪堤の墓を探すのだが
これがなかなか見つからない。
鐘楼傍にある漫才師・内海好江の墓はあったのだが、困ったことに
長谷川雪旦・雪堤の墓が見つからないのだ。
それでもようやくのこと長谷川雪旦・雪堤の墓を見つけて写真も撮
った。
ここでタイムアップ。
烏山寺町には他にも数多くのお寺があるのだが、それは次回のこと
にして帰宅することにした。
それにしても夏場の酷暑での探墓巡礼は、全身汗びっしょりで大変
でした。




