函館戦争 その七

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右端の人物—————————–小笠原長生

 

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大鳥圭介—————————大野右仲

今回は「幕府脱走軍兵士」として知られる集合写真の七回目です。
その他の蝦夷共和国の幹部たちについてさらに調べてみる。
徹底抗戦を主張し、箱館まで転戦して新政府軍に抗戦した小笠原長行ははどうであろ
うか。
陸軍奉行並に就任し、土方歳三直属の部下となり、二股口の戦いから、箱館総攻撃に
至るまで土方の補佐役を務めた大野右仲はどうであろうか。
この二人も残された写真を見ると別人であることがわかる。
では、箱館政権 の陸軍奉行、大鳥圭介はどうであろうか。
幸い、大鳥圭介には若い頃の肖像写真が残っている。
新政府時代の大鳥圭介の肖像写真だと別人のように見えるが、この若い頃の肖像写真
と一番右端に座っている人物を比較していただきたい。
どうであろうか。
僕はこの一番右端に座っている人物は、残念ながら土方歳三ではなく、大鳥圭介だと
考えている。
撮影場所は函館とすると、確かに有力な写真師は田本研三ということにはなるが、も
う一人候補者がいる。
それは木津幸吉だ。
函館時代の田本研三と木津幸吉についての研究は進んでいないため、どちらと断定は
まだできないが、幸いこの「幕府脱走軍兵士」として知られる古写真には椅子が写っ
ていることから、今後の研究しだいでどちらであるか判定することもできると僕は思
う。
また、撮影時期については
明治元年十月二十六日に榎本軍が函館五陵郭に入城してから、左から三番目の甲賀源
吾が宮古湾海戦で戦死した明治二年三月二十五日(1869年5月6日)の間に撮影された写
真であろう。
一番可能性が高いのは、蝦夷地平定の祝賀会が行われた明治元年十二月十五日頃とい
うのはどうであろうか。
政権としての体裁が一応整った明治元年十二月のある日に、函館の写真館に彼らは集
い、記念写真を撮ったということだろうと思う。
木津 幸吉については下記をご覧ください。
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/jimbutsu_ver1.0/b_jimbutsu
/kizu_ko.htm
小笠原長行については下記をご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E9%95%B7%E8%A1%8C
大野右仲については下記をご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%87%8E%E5%8F%B3%E4%BB%B2
大鳥圭介については下記をご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%B3%A5%E5%9C%AD%E4%BB%8B
甲賀源吾については下記をご覧ください。
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「幕府脱走軍兵士」として知られる古写真については下記をご覧ください。
http://members.at.infoseek.co.jp/Bakumatu/hako_dasso.htm



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