古写真研究

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俗に古写真といわれる時代はいつまでかというと、僕はコロタイプ印刷による写真集
が出現する前まで、湿版(アンブロタイプ)写真、鶏卵紙による名刺判写真(複写紙
焼き)中心の時代だと考えている。
まぁ、大雑把にいえば幕末から明治期までだ。
古写真の研究では初期の写真師、鵜飼玉川、上野彦馬、下岡蓮杖、内田九一、横山松
三郎、清水東谷、田本研三、中島待乳、北庭筑波などが有名だが。
堀江鍬次郎、中島鍬次郎(中島仰山)、古川俊平、富重利平、上野幸馬、市田左右
太、堀與兵衛などなど、まだまだ研究対象の日本の写真師たちは多くいる。
次世代の写真師・江崎礼二、小川一真、丸木利陽などを加えればさらに多い。
そんな彼らの足跡でもある古写真を眺めて僕は、誰に頼まれたわけでもなく、無償で
古写真を鑑定したり、特定しながら日々を過ごしている。
というのもこういった写真師たちが残した古写真たちが、まるで「俺たちがせっかく
こんな写真を撮影したのだから、後世の人々にちゃんと伝えて欲しい」といっている
ような気にさせるのだ。
一枚の古写真はそういった怨念にも似た魅力で語りかけてくる。
いつのまにか僕もその怨念(魅力)に絡め取られて、古写真、写真師の研究から抜け
られなくなってしまった。
一枚の古写真を調査するためには膨大な予備知識も必要となる。
いつから人力車が見られるようになったか、この町ではガス灯はいつからできたの
か、この建物はいつからできたのかなどなど、服飾、化粧、衣装、髪型などもあるの
でその予備知識を事前に知っていることが重要になるのだ。
勝海舟などの歴史的に有名な人物で、日記などの資料もある人物でも、その写真がい
つ撮影されたのかを特定するためには大変な苦労がある。
だけど、誰かがそれをやらなければいつまでも間違った情報のままで、その古写真が
諸書に紹介されて行く。
近藤勇の写真などはそのいい例だ。
もう一度、ここで繰り返して書くと、現存する近藤勇の肖像写真は二点で、どちらも
幕末に京都の堀與兵衛が撮影した写真だ。
撮影された場所も寺町仏光寺の堀與兵衛の写真館(写場)か、祇園にあった祇園支店
の写場の可能性が高い。
新撰組の谷三十郎も祇園にあった祇園支店の写場で撮影していることから、僕は近藤
勇の肖像写真は祇園にあった祇園支店の写場で撮影されたものと仮説している。
最近入手した、今回紹介する古写真は、元は内田九一が明治初年に撮影した写真の、
複写の名刺判写真だが、ご覧の皆さんはこの写真がどこで撮影されたのかわかるで
しょうか?
もちろん僕はすぐにわかったのだけれど、正解は次回に書くとしましょう。



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