御茶ノ水 神田上水懸樋(万年樋)

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ご覧の古写真は水道橋から神田川に架かる神田上水懸樋(万年樋)を、今の三崎町側
からから東方に見た古写真だ。
従って向こう側の坂道は現在の外堀通りとなる。
手前右側に人力車が写っていることから、当然、明治初年に撮影されたこともこれで
わかる。
左手奥の木々が見える辺りは後に順天堂病院(順天堂大学附属病院)となった場所に
あたる。
この先の現在の御茶ノ水橋、聖橋は明治以降に架けられた橋なので、江戸時代はな
かった。
順天堂病院(順天堂大学附属病院)のその先には湯島聖堂がある。
当時、この御茶ノ水界隈はご覧のような自然が豊かな景勝地で、水も清く子供達は水
遊びに、大人達は中国の水墨画のような気持ちで、この景色を眺めて楽しんでいた。
この古写真では写っていないが、右手の奥は駿河台で、元和二年(1616年)駿府
にいた大御所・徳川家康が亡くなって、駿府詰めだった畑本達が多く移り住んだこと
から、駿河台と呼ばれるようになる。
この高台からは富士山がよく見えるので畑本たちもこの土地をたいそう気に入ったと
いう。
「天下のご意見番」大久保彦左衛門もこの駿河台先の、現在の御茶ノ水駅近くに住ん
でいた。
その屋敷は現在の杏雲堂病院のあたりにあった。
さて、歴史的な薀蓄はこれくらいにして、この古写真でいえば右手に「アテネフラン
ス(日仏会館)」がある。
日仏の文化、友好のための東京の拠点の一つで、日仏の映画作品の上映会なども行われている。
僕は近いうちにここが(正確にいうとここに務めているフラン人のP氏が)所蔵して
いる幕末明治初期の古写真を見に行こうと考えている。



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