前島 密

前島密

 

 

 

 

 

 

 

 

今年になって長崎の写真師・上野彦馬の弟、上野幸馬について調べている。
この上野幸馬は産業能率大学創設者・上野陽一の父であるが、明治初年(七年頃)に東京築地の、今の築地本願寺の正門前で写真館を開業していた。当時の築地本願寺の正門は、今の築地市場の方角にあったので、上野幸馬の写真館は築地本願寺の横、北側にあったことになる。

この築地の上野幸馬の写真館は、当初はたいへん流行っていたようで、明治五年の「全国写真師見立番付」でも「築地 上野京馬」として記載されている。
客筋には幕末に長崎で留学、遊学して、明治維新後に新政府の官僚となった友人も多
く、「前島 密」もそんな初期官僚の一人だった。
「日本近代郵便の父」と呼ばれている。
ご覧の「前島 密」の古写真は浅草大代地の内田九一の写真館で撮影された写真で、『鴻爪痕 前島密伝』(前島会、昭30年)などに掲載されている写真だ。

さて、前置きがすっかり長くなってしまったが、この「前島 密」が、上野幸馬の有力な
支援者の一人ではあるのだが、残念なことに「前島 密」の自伝などで調べてみても、上
野幸馬との関係がよくわからない。
ただ「前島 密」は幕末(弘化4年)に江戸に出て医学を修め、蘭学・英語を学んでいる
ことから、どうやら長崎の蘭学・英語関係者との繋がりから、上野幸馬と知り合ったよ
うに思われる。
詳しく書くとこれは専門家的な話になるので、省略するが、明治十六年頃に写真館の経
営、商売がうまくいかなくなった上野幸馬は、長崎時代からの友人の支援で、その後、
海軍省の製作局の工場に勤め、その後、そこをくびになった後には、築地の逓信局に勤めている。
築地の電信局は今の汐留松下電工のビルの向い側、当時の新橋駅の向い側にあった。
生活が苦しい上野幸馬は、毎日、三田の四国町(現・慶応義塾大学東門の向い側)の長屋から、歩いて勤め先である電信局まで通っていた。
これは地図で確認してみるとよくわかるのだが、けっこうな距離でして、さぞかし生活
が貧乏で大変だったのだと思う。
まぁ、健康のためには非常にいいことだけど。

前島 密
(まえじま ひそか、天保6年1月7日(1835年2月4日) - 大正8年(1919年)4月27日)前
前島 密は、日本の官僚、政治家。日本の近代郵便制度の創設者で、1円切手の肖像で知られる。「郵便」や「切手」、「葉書」という名称を定めた。その多大なる功績から
「日本近代郵便の父」と呼ばれる。大久保利通らが当初進めていた大阪遷都に対し江戸遷都を建白した事でも知られる。また、国字改良論者としても有名である。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
近代日本人の肖像
http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/327.html



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