大村藩と戊辰戦争

近年、「大村騒動」を記録した史料「慶応三年丁卯日記」というものが見つかったこと
で、大村藩の幕末期の苦悩の様子がわかってきた。
その詳細については、外山幹夫著『もう一つの維新史ー長崎・大村藩の場合ー』(新潮
選書)で知ることができる。
「大村騒動」とは、慶応三年に「勤皇三十七士同盟」といわれた尊攘派の要人藩士が、
佐幕派藩士たちに襲撃された事件で、”元治の政変”とも呼ばれるが、藩政のクーデタ
ーを成功させた尊攘派の生き残りは、後にこの騒動に関わった多くの佐幕派藩士や親戚縁者までを捕らえ、斬首、獄門,遠島など弾圧した。
大村藩はその後、改革派の渡辺昇、大村右衛門などが中心となって、長州藩の奇兵隊の例にならい、正規の軍備を整え、『大村藩十三隊』として再編成して、薩長両藩ととも
に軍事行動をともにし、全国各地を転戦した。
戊辰戦争では上野の彰義隊征伐(上野戦争)、飯能戦争、会津戦争と活躍した。
大村藩の浜田謹吾は十五歳で、軍の鼓手(太鼓奏者)として従軍し、秋田県の角館の戦いで戦死している。
世界的な物理学者である長岡半太郎の父・長岡治三郎は、幕末大村藩血盟勤皇三十七士の一人として、主命を受けて京都の情勢を探り、戊辰の役では官軍先鋒の軍監となり、江戸、会津で功を立てた後、選ばれて明治政府に仕え、岩倉具視に従って欧米視察にも行っている。
渡辺昇については以前にも書いたとおり、明治維新後、大阪府知事、会計検査院長などを歴任した。
戊辰戦争後の論功行賞では、第一位の薩長両藩、第二位の土佐藩に次いで、第三位に大村藩となり、増石の褒賞を受けている。
この大村藩の激動期に「大村右衛門の集合写真」や、大村藩の「稲田又左衛門」の古写真が撮影されている。
また、浜田謹吾は出生前に家族と共に、洋装軍服姿で、長崎の上野彦馬の写真館で写真を撮っている。
また、これは後に戦死した浜田謹吾の最後の姿ともなった。
これらの古写真はこういうわけで大村藩の歴史的価値のある古写真、貴重な資料という
ことになるわけだが、残念なことにまだいつ、どこの写真館で、何という写真師が撮影
したものなのか判明していない。
戊辰戦争に従軍したご先祖を持つ地元の方で、こういった古い写真をご所蔵されている
方はいないでしょうか?
大村の「なずな古書店」店主の一瀬さんまでご連絡いただけましたら幸いです。



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