平山晋「明治天皇のベルト」 その二

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内田九一の写真は数種類あります。
手を組んでいる物が一般的に良く知られています。

その他にも手の組み方や足の開きが異なった物、手を組んでいない物も在りまして、
それをスキャンして拡大したりしてみていましたが、手札版の物は解像度が悪くそ
れ程判別が付きませんでした。
一枚の手持ちの多少大判の写真を、たまたま拡大して観て見ましたら、そこにベル
トが写っている事が判明いたしました。
剣帯ベルトはそれ程太くは有りません。
肋骨胸飾りの2本分くらいで、おそらく革で出来ていて、中央部には金線が入って
います。
フランスの大礼服ベルトに似ており、当時流行のS字金具で留める形式で、S字金具
の両側は菊のマークが入っており丁度、この大礼服の肋骨部に使用されているボタ
ンと同じ寸法です。
ボタンを改造したものかもと考えます。

模造画像 2632 模造画像 2634

早速、ベルトの寸法を写真から割り出し、図面化して、試作してみました。

S字金具の製作、両側の菊紋入りボタンは戦前の宮内省のボタンの流用です。
ベルトは黒革で作り前もって平織り金線を革に縫い込んでおきます、長さ寸法は胴
回りが判らないので多少長めに作り調整可能にしてあります。
剣差しは明治5年制の文官の剣差しの寸法で表面を金線で製作しました。

模造画像 2639剣は中将で形が異なる 模造画像 2642剣は中将で形が異なる

さて、剣ですが、明治天皇の剣に似ている剣は、以前から気が付いていたのですが、
ヘルマンヒストリカ等に良く出品されています。
形や細工が同じ様に見えますから、この時点の剣は外国製そのものと考えます。

以前、ある本に山県有朋のサーベルと言う事で、同じ剣の写真が掲載されていまし
た。
戦後の本ですから、出版社の方が山県家で撮影したものと考えます。
軍人である山県が、この様なタイプの剣を使用したとは考えにくく、私は明治天皇
の剣を下賜されたものが今日まで、山県の剣として言い伝えられ残っているものと
考えます。
そうすると、明治神宮に残っていない、明治5年制の剣・剣差し・ベルト・剣緒は
山県家に現存しているのかも知れません。

平山晋「明治天皇のベルト」 その一

今回は軍装・軍服・勲章の研究者・平山晋先生の論文の紹介です。

内田九一が撮影した明治天皇が明治5年制の大礼服を着用して椅子に腰掛けている
写真は有名です。
その写真は数種類の撮影が行われ足の組み方、手の組み方等の違いが見られますが、
いずれも椅子に腰掛けているもので、いずれも剣を手にしております。

その大礼服姿の立ち上がった姿は、ウルゴーニがその座像を元に油絵で残し、さら
に、鮭の絵で有名な高橋由一がウルゴーニの絵を基にさらに繊細に描きあげています。
この立像画を見た時、何か不自然さを感じていました。
椅子に座った時に持っていた剣のまま、剣差しのまま左手に剣を持っていました。
何故剣差しを手に持っていて、ベルト或いは、服に付属されている剣差し用の帯等に
留めていないのだろうか?と
この問題はある機会で私ながらに解決しました。

画像 018この写真にベルトが写っています (この写真にベルトが写っています)

それは明治5年制大礼服の実物を明治神宮で人体に着付けに立ち会う機会がありました。
前面は何度も明治神宮の宝物殿で見たことはありましたが、背面を見ることが出来たの
はこの時初めてでした。
なんと左腰部に剣吊金具があるのに気が付きました。
剣吊金具は細い金色金属で出来ており、服の背面脇のサイハラから出ています。
丁度腰骨の上あたりで、通常ベルトが乗る部分です。その金具があると言う事は剣帯を
服の上から締めそれに剣を吊ったと言う事です。

画像 022

明治天皇の明治5年制の大礼服は下方に二つのポケットを持つドルマン型です。
明治初期の文官の大礼服は燕尾型ですから、腰の前の部分は開いていてズボンが見えます。
この様な燕尾型でしたら、ズボンの上、つまり大礼服の下に剣を吊る為のベルトをして
いても剣差しを差す事が出来ますが、ドルマンの場合は服の上からベルトを締め、それ
に剣差しを差すしか方法が有りません。

画像 024 画像 030

剣を提げる方法は通常2種類有ります。
陸軍や海軍の軍人が剣(サーベル類)をベルトから出ている長・短の下げ尾でぶら下げ
る方法。
もう一つは正剣(エペー類の直刀)を剣差しに差したままベルトに留める方法。

明治天皇が手にしている剣は直刀で洋式のエペーである事は内田九一の写真から判ります。
柄の下に剣差しが見えます。
これは初期の文官等の剣差しの方式で剣差しの裏側にベルト掛けの金具が付いており、大
礼服の上からベルトを締め、そのベルトに剣を差したままの剣吊を下げる形式です。
後期になると肩掛け式の剣差しになります。つまり明治天皇の剣の吊り方は文官型の初期
の形式と言う事になります。
丁度文官の服制も明治5年に布告され布製ではありますが同様の剣差しが太政官布告図にも
示されています。

ウルゴーニの描いた立像にはベルトが無かったかは、たぶん彼に渡された座像写真にはベ
ルトが見えなかった可能性はあります。
また高橋由一が描きあげた立像はウルゴーニの立像を基に描いている為では無いかと想像
しています。

春廼舎忘年会のお知らせ

 

詳細:新選組研究の第一人者・釣洋一先生のお店の忘年会です!
皆さま、ご友人などお誘い合わせの上、ぜひご参加くださいませ。(ぺこり)大

日時 : 2011年12月29日(木) 18:00~
場所 : 春廼舎(新宿区荒木町8 根本ビル1F)
http://www.geocities.jp/haruno_ya/map.html
会費 : 4000円(講演後の懇親会費込み)
※当日参加は大歓迎いたします。
場所等不安な方は下記 へご連絡ください。

連絡先
〒160-0007
東京都新宿区荒木町8-1根本ビル 春廼舎内
江戸史談会事務局
Tel.03-3350-3732(18:00~24:00 日曜休)

天然理心流大扁額奉納式

拝島大師 天然理心流大扁額奉納式 20111123

11月23日に拝島大師で行われる天然理心流大扁額奉納式
のお知らせです。
僕も見に行こうと考えています。

天然理心流大扁額奉納式については下記もご覧ください。
http://www.tennenrishinryu.com/haijima.htm

 

谷中霊園巡墓会(後篇)

全国歴史研究会墓碑研究部会・探墓巡礼顕彰会共催
谷中霊園巡墓会(後篇)

■参加要項
★日時 平成23年11月27日(日)雨天決行
12:30より受付
13:00(現地出発)~16:00(現地解散)
★集合場所:五重塔跡広場(天王寺駐在所隣)
(交通:JR日暮里駅下車、徒歩5分)
★講師:釣洋一先生(探墓巡礼顕彰会会長)・探墓巡礼顕彰会幹事
★参加費用:1,500円(資料代含む)
(定員30名・参加費は当日受付にて)
★解散後、希望者で懇親会を行います。
(3,000円程度で/場所:JR日暮里駅前の居酒屋)

池田徳太郎-浪士組隊
松浦信寔-江戸南町奉行
三間正弘-長岡藩公用人・初代憲兵司令官
高橋お伝-毒婦といわれた女
石黒忠悳-陸軍軍医総監・男爵
佐藤尚中-佐藤泰然養子・蘭医・順天堂大学創始者
ニコライ-ロシア正教布教者
佐々木顕発-外国奉行・江戸北町、南町奉行
高松凌雲-日本赤十字精神の祖
新井一業-新選組隊士
長谷信篤-公家・男爵・廷臣八十八卿の一人
赤塚武盛-西南の役で殉職した旧会津藩士
安村治孝-長州藩士・囚獄署長
箕作秋坪-蘭学者・日本最大の学者一族
大原重徳-尊攘派公卿・伯爵
白根多助-長州藩士・埼玉県令
来島恒喜-玄洋社員、大隈重信暗殺者
中村正直-幕臣、明六社
松平斉民-徳川亀之助の後見人・子爵
徳川慶喜と周辺-第15代将軍・公爵

※尚、この中には墓域内への立ち入りができない墓所もあり
ますので、 その場合は塀外、柵外からの拝観となりますの
でご了承下さい。
※当日は墓参者の妨げとならいよう運営いたしますので、参
加して頂く際はご協力の程、お願い申しあげます。
※雨天の場合は足下が悪くなるため、歩きやすい靴でお越し
下さい。
※詳細等は決まり次第、『歴史研究』誌上、歴史研究会HP
、探墓巡礼顕彰会ブログ上にて発表致します。
★参加ご希望の方は、下記まで、電話、FAXにてお申込み下さい。
全国歴史研究会墓碑研究部会
〒141-0031 東京都品川区西五反田2-14-10-504
TEL 03-3779-3127
FAX 03-3779-5063

巡墓会後には谷中霊園付近の居酒屋で懇親会を行いますが、二次会
はいつも通り釣洋一先生の「幕末酒場・新選組屯所」を予定しています。
みなさんのご参加をお待ちしております。

諫早 天祐寺 島原の乱戦没者追悼碑

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以下はそのまま引用です。

「寛永14(1637)年島原の乱がおこり、諫早茂敬(第三代)は手勢を
ひきいて出陣した。戦いは激烈を極め、諫早勢も多くの犠牲者を出した。
乱鎮圧後、三十三回忌の寛文12(1672)年に諫早では改めて、犠牲者
の霊を祀るためこの追悼碑を建立したものである。
この追悼碑は石造り三段の基壇の上に、高さ2.45m、幅0.96mの石
碑を載せ、総高3.37mとなっている。そしてこの碑には激戦を物語る碑
文と戦没した武士67名、又者14名、百姓11名、計92名の氏名が刻み
込まれている。島原の乱の史料として貴重である。
<諫早市の文化財(市教委)>」

天祐寺については下記もご覧下さい。
http://www.isahayacci.com/history/dbreki1505map.pdf#search=’天祐寺 島原の乱戦没者追悼碑’

諫早 天祐寺 諫早家墓所

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諫早家墓所(県指定史跡)には、初代龍造寺家晴公から十八代家興公
までの一族のお墓がありました。
ご覧の写真はその一つ、初代龍造寺家晴公のお墓です。
龍造寺氏については、僕もいつかは何か書いてみたいと思っています。

天祐寺の前には旧諫早家の邸宅を改装した諫早市郷土館がありまして、
天祐寺の後にこちらに立ち寄り、織田元館長から諫早の古い写真史料
や絵葉書資料なども拝見させて頂きました。

この織田元館長は、偶然なことに今回訪れる予定の長崎のシーボルト
記念館の織田館長のお父様でして、いろいろ新説にして頂き、おまけ
に諫早市郷土館の刊行物も頂きまして、お礼の言葉もありませんでし
た。
どうもありがとうございました。(ぺこり)

諫早市郷土館についてはこちらもご覧ください。
http://www.city.isahaya.nagasaki.jp/of/17_kyouiku/04_bunka/kyoudokan/top.htm

旧楠本正隆屋敷 庭園

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長崎府判事であった楠本正隆が明治三年に地元大村に建てた
屋敷内の日本庭園です。
大村に残る最も形式の整った武家屋敷遺構の一つとして、地
元で大切に保存、管理、一般公開されています。
建物の様式は近世武家屋敷の系譜を引くものだそうですが、
平日のせいでしょうか、観光客は案内してくれた友人の一瀬
さんと僕の二人だけで、物静かな場所でした。
屋敷内にある庭園もよく整備されていて、きれいな庭だなぁ
と思いつつ、こういう屋敷を個人で管理するのはさぞかし大
変なことだろうと思いました。
まぁ、貧乏な僕には全く関係ない話しですが。

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